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ものわすれブログ

ゆれる気持ち(7)雨に負けても風邪には・・


 雨にも負けて風邪(風ではなく)にも負けて…、宮沢賢治を愛するみなさん、茶化したようなことを書いて許してください。ボクは賢治の大ファンです。数年前に花巻の講演に呼ばれたときに、空港で賢治の「雨ニモマケズ」の手帳のメモの完全な複製コピーを買ってきて、今も診療室に置くほど好きです。雨にも負けず、病に困った人がいれば飛んでいく自分を目指し・・・・。

 だけど、生身のボクは弱いです。根性も体力もなく弱い。風邪に弱くてしょっちゅう休診にしてしまいます。そんな自分が嫌でもあり、自分の役割を全うしていないことに苛立ちを覚えながら、それでも25年の臨床が過ぎました。

 その自分が今一度、何者なのか、何をしたいのか、問われたのが2014年の夏、妻の介護を始めた時でした。それまで一心に論文を書き、学会発表をすることで、認知症の介護家族の立場に立った研究者になろうとしてきた自分が妻の介護をすることになった時、最も僕を支えてくれたのが介護職の存在でした。

 誰にも相談できず日々の生活を送ることになったボクは、自分のこの先の人生を呪い、なぜ、こんなことになったのかと人生を否定的に見るしかなかった時期があります。それを今日まで支えてくれたのが仲間の存在でした。医師という「治したい」自分が、それでも治らない妻の現状と向き合ったときの徒労感、しかし介護職が寄り添ってくれたおかげで、日々を「何とか過ごすこと」ができたこの3年を振り返ると、日々の介護を支援してくれる人々の存在こそ、絶望の淵にある介護者(すなわち、ボク)への光であることを実感しました。

 そんな介護職が、自分の日々に自信をなくしているなら、ボクはいつでもその人とともに歩いていくつもりです。日々、介護という「当たり前の生活」を支える人びとには、傍らから「それでいい」と支援してくれる存在がいないように思えます。なぜなら、日々の当たり前の生活は、それができて当たり前、できなければ「それはおかしい」とされることになります。

 でもね、もう一度、原点に戻って考えてみましょう。日々が当たり前のように送れることは、決して「当たり前」などではなく、それを支えようと努力してくれる人々が、燃え尽きることなく淡々と続けてくれることによって支えられていることを、私たちは今一度、確認する必要があります。

 「あたりまえ」の人生のために日々の介護職の努力があり、その「あたりまえ」をもって、私たちは人生を続けることができます。そのために自分の人生を削りながら、日々の介護のために人生を送ることを決めた介護職に感謝と限りない協力を惜しむことなく送り続けることがボクの人生の大きな目標です。

 この経験をする前と後とでは、自分の中で「日々の生活」を送ることの大切さに対する意識が全く変わりました。妻を支えてくれたホームヘルパーとの出会いがボクに介護職を大切な存在であると再認識させてくれました。

 こうして介護職の友人と連帯する日々が続きます。みなさん、あなたが困った時にはボクがいます。あなたと共にボクはいますョ。


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