2017年4月から朝日新聞デジタル版・アピタルで

「認知症と生きるには」というコラムを執筆中です。

http://www.asahi.com/apital/column/ninchisyou/

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ボクのこだわり(5)病気主義かこころ主義か

先日、本当に久しぶりに認知症の講演会を聞きに行きました。ほとんど学会以外は自分が話をする側で、人の講演を聞くのは少なくなっていたから、とても新鮮でした。 公益社団法人「認知症の人と家族の会」の前代表、高見国生さん、同会副代表で医師の杉山先生、社会福祉の立場から原谷こぶしの里の服部さんなどが参加して、NHKハートフォーラムを開催され、ボクは全く出番はなかったのですが(笑)、呼んでいただいて楽屋に行かせていただきました。 その日は日曜往診日と重なっていて、(これまで診療所を受診していた人が来られなくなった場合や、施設に入居したあとも認知症だけはボクが対応することを、ご家族の希望があった場合に続けている往診で)、表向きには「当院は往診不可です」と掲げていても、現在52人の患者さんの元に行っています。 多くの人は入所に至るまで、たくさんの症状が出てケアをしている家族が大変な思いをします。ものを忘れるだけではなく、日々の食事や介護で、最もその人に近いところで献身的に介護してくれる介護家族に対して、疑いの気持ちが向きやすいこと、攻撃的になってしまうことなどがあります。 2000年頃だったでしょうか、ボクはそれまでの認知症のイメージが、何か「悪運でもとりついた不幸な人」といった間違ったイメージを変えるため、認知症も病気であることを強調して説明していました。認知症は恥ずかしいことなどではなく、介護家族が困惑する行動も結局は病気から出る症状であることを強調していました。 「誰でもなる病気である。脳は変化が起きたところの症状が出るだけで、家族に対して本人には悪意などない…」必死に講演会で訴え続けた

ボクのこだわり(4)診察室の模様替え

精神科医になって26年目の冬、診察室の模様替え(と、言っても大げさに壁紙をすべて張り替えるのではなく、診療室を移動しただけなのですが)をしました。診察を四半世紀やっていると、時には診療室の雰囲気を大幅に変えたい気持ちもありますが、変えなかったのには2つの訳があります。 ひとつはお金がなかったこと。「嘘言え!」と思うかもしれませんが、20年前に世間に先駆けて老人デイサービスをはじめ、介護保険の枠にとらわれない取り組みとしてカフェのようなものをつづけて散財している間に、パートナーであった高齢の母が病気になり、闘病による減収が続き、母を見送ってからやっと安定した体制にできました。 今一つはメンタル領域や認知症関係の患者さんの場合、ころころと変わるところで診察を受けるより、いつもそこに行けば同じ医者がいて、同じ雰囲気の中で「あ、前もここで診察受けたね」と思い出してくれることが本人の安定をもたらし、家族の安堵につながることを経験から知っているからです。 半年ほど前でしょうか、診療所のガラスブロックの窓を境にした隣家の所有者が変わり、内装を全面的に変える工事が始まりました。 いわゆるスケルトン状態から枠組みだけ残して新しくするためです。その騒音を避けるためにしばらく診療室を奥の部屋に移し替えました。するとどうでしょう。難なく部屋に入ってきて「先生、模様替えですか」と言いながら受診してくれる患者さんもいれば、配置が変わったことで認識ができず、帰る道の方向をこれまでとは逆にしてしまう人など、さまざまな反応が出ました。 もちろん認知症を診てきた医者ですから、その辺の変化の影響が出やすい、場所的見

ボクのこだわり(3)風花の別れ

医者は患者さんとの出会いで育てられるものです。ボクも開業医となって以来、患者さんやご家族とのつながりが長く、人によっては25年を超える人がいるほどで、これまで関わることになった患者さんのカルテを平均してみると、10年の通院期間になります。かかわるからには密に、そして人生をいっしょに過ごす気持ちで受診していただきます。これがボクの最も大切な「こだわり」です。 そんな患者さんの中で最も長く来てくれていた女性が亡くなりました。風花が舞う2月の大阪でした。四半世紀のお付き合いですから、患者さんでもあると同時家族のようなひとでした。 「私たちは勉学を積むことができなかったから」と、戦中世代でそんなこと言っていられなかったことは十分理解できるのに、「それではいけない」と文章を書くことを趣味、いや学びとして、文章サークルにも参加しつづけました。 90歳を超えても診療所へ来てくれました。「無理なら言ってくださいね」というボクに対して、「いえ、来られる限りは来ます。」と言いながら、電車を乗り継いで来院し、普段の生活もひとりでこなしました。 娘さんも「将来のお母さんのために」と介護職になった人です。いつもお孫さんたちと共におばあちゃんのことを気遣い、やり過ぎないように注意しながら見守り続けました。ボクもそんなお孫さんの結婚式にも招かれるような、そんな付き合いが続いていました。 しかし年齢は90代半ばです。昨年の秋から自宅近くの病院のケア施設に入所しました。誰にでも高齢を持って在宅療養ができなくなる時はあるものです。年末年始だけ、そこが利用できなくなったため、別の所のステイで過ごしましたが、そちらの