2017年4月から朝日新聞デジタル版・アピタルで

「認知症と生きるには」というコラムを執筆中です。

http://www.asahi.com/apital/column/ninchisyou/

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ボクのこだわり、ふたたび(7)体力と気力

毎年、夏の後半には疲弊します。長年、診療所に来てくれた人が来られなくなると(誰にでも対応してあげられるわけではないけれど)往診が10年に及ぶ人もいます。しかも「運転免許を取ったことがない」、「自転車にも乗れない」という医者として致命的な弱点のために、外に診療に行く場合にはすべて「歩き」です。駅まで歩いて電車に乗るか、バス停まで行くか、いずれの場合にも公共交通機関を使うため、回り道や乗り換えがたくさんあり、それでもこれまでは「こだわって」行き続けてきました。しかし、ここ数年でしょうか、特に夏の酷暑が身にこたえ、お盆ごろまでは何とか持つ体力が、京都五山の送り火の頃を過ぎると、もたなくなりました。さて、困りましたね~。今やっと戻りつつある感じです。 最近、よく「被害者としての自分」と「加害者としての自分」を考えるようになりました。認知症と言う病気を自分の専門にして28年、自分では支援者のつもりでいても、結果的には自らの処方が当事者に過剰抑制となり、せっかくの日常生活動作が低下してしまうことも数多く経験してきました(医者のブログで書いてはいけないことかもしれないけど、ね)。でも、支援の仕事に就く人なら誰にでも思い当たる点があるはずです。良かれと思ったのに結果が悪くなってしまったことが。 介護を通してその人と家族を支え、より良いQOLを目指す気持ちでいたにもかかわらず、結果的には専門職がかかわったのに介護状況が悪くなったこともあるはずです。そのような時、ボクのような医療者や介護職は、そのことをどのようにとらえるか、地域包括ケアではまさに今、そのことが問われているような気がします。支援しよ

ボクのこだわり、ふたたび(6)エスカレータ

今年も8月6日がきました。広島、長崎、そして敗戦と、若い人々にとっては楽しい夏も、亡くなった両親の世代には「また、哀しみの夏が来た」といつも言っていた記憶があります。二人とも大阪の京橋の大空襲や戦後の大阪駅にあふれた身寄りのない子供、帰還する元兵隊に対する学生(援助)運動などに関係していたことを思い出しました。。 今回のこだわりはエスカレータについて。このテーマを聞いただけで「あ~、この話ね」とピンとくる人は、今回のブログはパスしてください。冒頭の内容とは全く違って軽~い内容です。 大阪ではエスカレータに乗る場合、右側に立って乗る人と、左側を歩く人、という暗黙の了解ができています。ご存知の方も多いかと思いますが、大阪万博のころ、梅田駅でたしか「歩く人は左、とまる人は右」ってやっていたような記憶があります。 それが大阪、神戸(?)以外では右側の人が歩き、左側の人が止まります。今日のつぶやきは、ふたたび京都に京都に戻ったボクが驚いたのが、この左右の立ち位置が大阪の診療所で妻の介護をしていた間にかなり変わったことなのです。それ以前は京都ではかたくななほど左で止まり、右側通行でしたが、戻ってみると河原町の高島屋などは右側のいと待っている人が何と多いことか。大阪と京都のつながる阪急電車のターミナルなので、そういうことになるのか、と思っていると、別の日には何人かが左に止まり、右を歩く人もいます。 「こ、これは京都人のアイデンティティーの崩壊か」と大げさに考えていると、どうもそうではないようです。前の人が右に立っていると後に続く人は右に続いて立ち、左に立っていると後の人も追随するという、いか