2017年4月から朝日新聞デジタル版・アピタルで

「認知症と生きるには」というコラムを執筆中です。

http://www.asahi.com/apital/column/ninchisyou/

​朝日新聞(デジタル版)お知らせ

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ボクのこだわり、ふたたび(1)入所と別れ

患者さんとの別れにはいろいろな形があります。もっとも多いのは長年にわたって「かかりつけ医」の先生とボクが連携して当事者を見送る場合です。悲しい別れであっても、同時に「十分にやりきった」感が家族にもボクにもあります。 でも、そうはいかない場合があります。その典型例が「入所」です。介護保険の施行前には(もう20年も前の昔話ですが)うちの診療所に来ていた人が施設に入所した場合、もし、その人や家族の希望があれば、見送るまでそこに往診していました。介護保険の下でもその流れは数年前まで続き、今でも50人ほどの人が往診の対象になっています。 しかしここ3年ほどで状況は大きく変わりました。うちの診療所は周辺部とは言いながらも大阪市の端っこにあり、(都会だけなのかもしれませんが)施設に(医院や会社が)営業をかけて精神科医が2週間に一度、訪問診療をすることが増えてきました。これまでには考えられないようなことが現実に起きて、入居者や施設にとって便利になってきた半面、診療所に通ってくれた人が入居を境にしてボクとの関係は終わることになります。 1年や2年ではなく20年近くのお付き合いがある人の入居とともに縁が切れるのは寂しいとも思いますが、これも時代の流れです。先日もボクとの縁を大切に考えてくれた家族の要望があったのですが、遠くて行けないところへの入居されたため、その施設を担当してくれる先生に情報提供書を送り、バトンタッチしました。 そこで出てきた課題が一つあります。ごく少数なのですが、会社から派遣されてその施設を担当することになった先生が長続きせず、頻繁に変わるために「きずなを託す」とはいかないケース

新しい試み(10)ふたたび勉強!

今年はこれまでにも書いてきたように、久しぶりに日本認知症ケア学会に一般演題を出し、依頼講演やシンポジウムを含めて、妻の介護前と同じぐらい多くの学会に参加しています。5月のケア学会のシンポジウムと演題発表に続いて6月は仙台の老年学会合同シンポジウムにも出させていただきました。昨日は新潟の精神神経学会、土曜日は大阪府内科医会の講演です。その次の日は東京で日本顎咬合学会で講演してきます。 かつて大阪人間科学大学の教員と開業医を兼ねていたころに、「年間で学会発表は3回以上、論文は毎年ひとつ」と自分にノルマを課していた時期がありました。もうそれほどのエネルギーはありませんが、それでも妻の介護を始めて5年、久しぶりに学会という「研究者の場」に参加して発表できることは、ボクにとって「楽しい~」と思える大切な「趣味」です。 昔から関心があることに対して勉強するのはとても楽しいことでした。本を読み、自分の中に知識を入れる楽しさと言いますか、教科書に没頭できる楽しさを学生時代には感じていました。 え?「それならなぜもっと優れた学歴や教員としての業績が残っていないのか」って思うでしょ。その通りなんです。関心があること以外は全く手を出さないから、学業成績もあまり、数学が苦手で文科系の医者になってしまいました。研究者の立場になっても、変に「現場」のデータにこだわり続けて「2000例集めて学位にする!」なんて言っていたために、博士号もとっていません。70歳ぐらいになると10000例をまとめてみようかな、と思っていますが。 そんなことはともかく、昨日の日本精神神経学会で「認知症診療医」という新しい認定が7月

新しい試み(9)愛について

ここしばらくの間、ずっと「愛について」考えています。「うわ~、さぶ(寒い)、サブいぼ出るわ~(鳥肌がたつの大阪版)なんて思わないでください。患者さんや知り合いの中でここ数か月の間に本当の愛とはどういうものかを考えさせられるいくつものことがあったからです。 恋しい気持ちやワクワクドキドキを伴う恋愛とは違って、愛というものは自分の所有を敢えて望まないものです。たとえ欲しくても、相手のことを考えたときに、自分は二の次で良いということなのかもしれません。自己満足や自分を前面に出した行為ではなく、敢えて自分を抑えることも大切なのでしょう。 多くの介護職が無意識のうちに「愛ある行動」をしていることに、この歳になって気づきました。もう少し若い頃は介護職や看護職、家族から「先生、認知症ケアって愛ですよね」と言われた時に、ボクの心の中では「そんな情緒過剰な考え方はするなョ、もっと客観的にならないと情感が理性を覆いつくしてしまうぞ」と思っていたボクが、少し人生の経験を積んだのかもしれません。でも、やはり客観的で情緒過剰にならないことも必要です。だって愛の行為をするなら、たとえその人に拒絶されたとしても、自分の理性を失わないようにしながら、自己利益ではなく他者のことを優先することが求められるのですから。 6月12日が過ぎ、母を見送ってから8年が経過しました。マザコンで言っているのではなく、母はうちの診療所の経済的な面の要でもありましたので、何とか診療所を8年間守ってきたことに感慨無量なのです。 7月が来ると妻の介護も5年が過ぎて6年目になります。相変わらず身体的には元気で、少々のパーキンソン症候群と

新しい試み(8)令和の主治医意見書

西暦2000年(平成12年)の4月に始まった介護保険制度は、そろそろ20年を迎えようとしていますよね。かつてボクは大阪市の高齢者総合センターで認知症の相談担当医(開業医と並行して)をしていて、月に2回は午後から相談のために当時大阪の中心部にあったセンターに出かけていました。そこで認知症の悩みを持つ人や家族から相談を受けていたため、何となく「ケアマネジャーの資格をとっておいた方がいいんじゃない?」ってなことになって、第1期のケアマネジャーになりました。その時に思ったのが「この制度は本当に長く続けられるのだろうか」という気持ちでしたが、そのネガティブな予想を裏切って今日も介護保険は(少々大変になってきましたが)がんばってくれています。 その時に最も大変だと思ったのが、介護保険のための主治医意見書でした。介護のために必要な医療面での情報を意見書に書き、それと認定調査の結果を合わせて認定が行われますので、責任は重大です。しかも「主治医」意見書なので、その人のことを良く知る主治の医師の意見書です。ボクのような専門医は患者さんの認知症の面は診ていますが、体の状態などは内科や外科の先生にお任せすることにしていますので、本当の意味の「主治医意見書」は書けません。 ところが現時点で860人ほどの意見書がパソコンのデータに残っています。亡くなった人のデータも残っていますので、現在、本当に意見書を書いている人は500人ほどだと思います。今でも月に30件ほど、更新や新規で書き続けています。本当の主治医が書くべきと考えてきたのに、結果としてこんなに多くのデータが残るとは、どういうことなのでしょうか。 そ

新しい試み(7)認知症ケア専門士受験講座

今日は先週の週末に引き続いて国立京都国際会館にいました。日本認知症ケア学会が主催する認知症ケア専門士受験のための講座の講師としてです。ボクにはこれまでにも「激アツ」になる日が認知症ケア専門士関連では年に3回あります。その一つがこの受験講座。後の2日は7月の専門士試験(1次試験)と11~12月頃かな、その2次試験の日です。 先週の週末は認知症ケア学会の本大会でしたから、全国から6000人ほどの人が国際会館に集まりました。ボクもシンポジウムと(前にも書いたように)、一般演題の発表をしたのですが、今日は第1回から続く受験講座の講師としての役割です。今回は15回目の受験講座。 これも前に書きましたが、第1回試験の時に神戸国際展示場やポートピアホテルを使って行った関西会場で、試験を終えて会場から出てくるたくさんの人を見送っていた際、あるオジサンが、子供さんに携帯電話していた時の発言がボクをこれまで支えてくれました。そのオトーサンは「今、試験がすべて終わった。疲れた。お父さんなぁ、頑張ったけど今回はダメだった。でも、これからも介護の仕事をしながら、認知症ケア専門士の資格に挑み続けようと思う。頑張るからね」と、その人は言っていました。電話の向こうには父親の受験を心配しながら、その報告を待っている妻や子どもがいたのでしょう。 決して若くはない彼が、もしかすると会社をリストラされたのかもしれません。生活のために、生きるために認知症ケア専門士を受験してくれたこと、そして合格して喜びの中で家族に連絡したのではなく、受験がダメだったかもしれない、まさにその時に子どもに再度の挑戦を誓っていたその姿に、ボ