2017年4月から朝日新聞デジタル版・アピタルで

「認知症と生きるには」というコラムを執筆中です。

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出合う人々(10)20001回のアクセス

今晩、ホームページをチエックしたら、2016年に開設してから2年弱で20001アクセスを超えました。「出合う人々」の最終回(第10回)には、このブログを見てくれている「出合ってはいないけれど、ボクのメッセージを受け止めてくれている多くの人びとについて書きたいと思います。 HPを読んでくれたみなさん、ありがとうございます。 「2018年6月23日、午後11時13分。たった今、地震がありました。先日の地震の余震なのでしょう。大阪の診療所の5階は震度2でした。でも、阪神淡路大震災、中越、東日本、そして熊本、多くの地震を乗り越えてきた国ですから、大阪も踏ん張らなくては。」 いろいろな立場の人がいると思います。ボクと同じように介護中の人もいるでしょう。もしかすると、ケアを受けている当事者が読んでくれているかもしれませんね。 27年前に地域での認知症医療を始めた時には考えられないほど、今では早期に診断を受けて、状態が良い人も多くなりました。そんな人々に向けて、このブログは役にたっていますか? 介護して、泣きながらいつもブログを見てくれている人もいます。ボクの患者さんの夫です。彼は奥さんのことでうちの診療所を訪れ、そのたびに「私だけではない、介護する夫の姿を先生もやり遂げようとしているのですね」と言ってくれます。 そんなにうまくいくはずがない介護は、当事者と家族を追い詰めます。ボクもその一人。 だけど、そんな状況にあっても、ボクらはみんな一人ではありません。 同じ立場にある介護者とともに、お互いが支え合うことで、明日に希望をつなぐこと。今を介護に生きるボクらが、この人生に何らかの価値を見出す

出合うはずだった人びと(9)大阪は震度6

今朝、いつものように診療所の2階で書類を書き終えて、「そろそろ8時前だな、いつものように升山さん(うちの社会福祉士)が来る頃かな~」と思っていた時に、地鳴りがして地震にあってしましました(会いたくなかったな~)。 阪神淡路大震災の時には京都の自宅で、東日本大震災の時には大阪府医師会館で認知症サポート医として研修を受けてるときに遭遇しましたが、今回の地震は「桁外れ」の衝撃で、直後に慌てて妻と娘がいる上階に行きました。 ボクの書斎兼研究室は診療所の5階にあって、そこはかなり揺れましたので、阪神淡路の時とは比べ物にならないほど、本や論文が散らばってしまいました。 この地域は大阪府の北東部より揺れが小さくて、患者さんも来院できました。しかし都心部の超高層マンションに住んでおられる患者さんが気になっていましたが、ご無事でしたので、診察日を変更できて胸をなでおろしました。 愕然としたのは夕刻からでした。いつも妻の夕食の惣菜を買いに行っているデパートは全て休業、それもそのはず、私鉄もJRも運休しているのですから。でも、夕方のテレビニュースで見たのは、いつも買い物に行く大阪駅や新大阪駅から、自宅に帰ろうとしても電車が動いていないために、長い道を歩いて帰る多くの人々の姿でした。 電車もタクシーもなく長い距離を歩いてでも自宅に帰ろうとする多くの人々は、ボクがいつも目にする場所で、昨日も今日もであったかもしれない人々です。その人たちが家に帰れないなら、ボクらは医者としてその人たちが体調を崩さないように見守り、そして必要な時には支援するはずです。それが今のボクにはできませんでした。 妻を残して夜に北摂

出合ったひと(8)勇気ある人の死

ブログの更新ができませんでした(モーリス・カーシュさんの事は書いたけど)。 書けなかった理由は5月中頃から28日にかけて、ボクのライフワークの一つであった、看取りの医療していたからです。 内科や外科の先生が「在宅療養支援診療所」の制度のもと、積極的に訪問診療をしてくれる体制ができたために、ボクは看取りの医療から身を引きましたが、かつて内科医の母といっしょに257人の在宅での看取りをおこないました。 ここ数年のブランクがボクにはあったけれど、誰も看取りをしてくれなかった時代から、自分のライフワークだと思ってきたのが認知症の人の看取りでした。彼を見送らないわけはありません。258人目の人でした。 担当したのはボクと同い年で、脳が萎縮する男性です。彼とは会ったその日から気が合って(同い年ということもあったのでしょう)、ずいぶん話をしました。彼がそれまでの医療機関では話せなかった悩みや、病気に向かうときの心構え、そして熱心に介護してくれる奥さんへの感謝、そして子どもたちへの愛情と、彼らを置いていく不安をボクに話してくれました。 そんな彼の病気が少しずつ進行して、やがてグループホームへの入居、特別養護老人ホームへの入所が決まりました。彼は若くて特養への入所には抵抗があったかもしれませんが、そのホームにはボクが担当していた患者さんがたくさん入居していて、彼にも奥さんにも安定してもらいたかったため、あえてそこに入居してもらうことになりました。 ここしばらくは誤嚥との闘いでした。食べたもののおよそ30%は器官に入っていたかもしれません。それでも体力がカバーして誤嚥性肺炎の発熱につながることもな