2017年4月から朝日新聞デジタル版・アピタルで

「認知症と生きるには」というコラムを執筆中です。

http://www.asahi.com/apital/column/ninchisyou/

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出合ったひと(7)モーリス・カーシュ爺

タイトルが出合う人々から出会ったひとに代わりました。今、ここを生きる人びとを書いてきましたが、実はボクの人生に決定的な影響を与えた人の筆頭にいるのが、アメリカ人のモーリス・カーシュさんです。 カリフォルニア、パロ・アルトの郊外にある大邸宅で「アメリカに来る前にはどこにいたの?」、「カーシュってアングロサクソンの名前じゃないよね」って聞いた17歳のボクに彼は静かに答えてくれました。「私はアシュケナージ(ヨーロッパにいるユダヤ人)だったんだよ。知人には有名な画家のベン・シャーンがいる」、「彼はリトアニア、私もロシア革命が起きた時にロシアからアメリカに来たんだ」、と。 親父が大阪でレストランを決められずに迷っているカーシュさんに声をかけ(父は英語が全く話せなかったのですが)、彼を大阪のめし屋さんに連れて行ったのが、1970年の万博の時です。そこから物語が始まりました。 大阪人(本当はうちのオヤジは愛媛出身の大阪人でしたが)の面倒見の良さに感激したカーシュさんは、うちに来て何度も「私が大阪で迷ったときの救世主こそ、あなたのお父さんだ」と言ってくれました。そしてあろうことかボクをアメリカに留学させたいと申し出てくれました。 彼がアメリカで出合った奥さん(これがまたフランス系のシャーロットさん)がスタンフォード大学の先生で、「ぜひ、息子さんをお預かりしたい。必ずカリフォルニアで医者にする!」と申し出てくれました。もし、あの時に申し出をお受けしていたら、ボクの人生は全く変わっていたはず。でも、何年もの留学は(父が反対して)かないませんでした。 しかしボクに大きな影響を与えてくれたのは、それか

出合う人々(6)違いを超えて

気が付くと2018年も半ば。え?、そんなに早く人生の時は過ぎるの?と、思ったボクは介護5年目の夏を迎えようとしています。確か2013年には海外で特別講演に呼ばれたよな、それから5年で妻の夕食の介護をする自分になっているなんて、思いもしないこと。でも、人生は「与えられた所で生きる意味」を見つけなければなりませんから、ね。 5月15日、ボクらは京都で葵祭(あおいまつり)が開催される日を結婚記念日として、35年の時を過ごしました。 その前日にイスラエルのアメリカ大使館がテルアビブからエルサレムに移りました。イスラム教、ユダヤ教、そしてキリスト教の聖地であるエルサレムは、誰のものでもなく決して自分が横取りしないことを、何十年にもわたって保ってきたのに。政治や宗教の話はしないけど…、とても残念。 高校生の時にアメリカに呼んでくれた画家のモーリス・カーシュさんのおかげでボクはあります。彼は同じように迫害を受けた画家のベン・シャーンの友人で、共にユダヤ人です。その彼らへの共感があると同時に、中東戦争でパレスチナを追われた人々の苦しみに共感を持って来ました。人は違いを超えて共存できる、と。 背景が違っていたとしたら、意見は異なるはず。その時に「自分が正しい」と主張するか、それとも「あなたと私の背景は異なる、だから私は(わからなくても)あなたの立場を尊重する」と言えるか、そこには大きな勇気と決断が求められています。 これって地域包括ケアの考え方とも似ていますね。それぞれの立場を超えて、お互いの視線から考えられるサポートをみんなで考えていく、ってね。。 違うものと出合えば人の心はけば立つもの。それ

出合う人々(5)静かに闘うひと

歯科医になった35年ほど前、自分の「能力のなさ」を呪った(笑)ことがありました。「歯が痛い」ってやってくる患者さんに対して、ボクの治療であっという間に痛みを止めて「先生、凄い腕ですね」って言われることを夢見たのですが、現実は全く異なるものでした。「ど、どこが痛いんですか、い、痛かったら教えてくださいね。」と言いつつ、おっかなびっくり「痛くしたらどうしよう」と心配ばかりして、患者さんの口の中を血だらけにしながら、冷や汗と戦う日々が続きました。(また診療所の紹介ブログの中で、こんなこと書いてしまった!) 歯を削ることに留まらず、もっと大きな手術、例えば口腔(口の中)にできたがんを見事に手術する口腔外科医なら、かっこいいな~と思っていましたが、ボクには全く縁がない世界で、人の口の中を手術することなどもってのほかの歯科医になりました。 時代は変わり、そんなボクが補欠の補欠の補欠で医者になって、今は認知症を診る精神科医になりました。今では科学的な精神医学があたりまえになりましたが、ボクが医局に入ったころには、せっかく母校の関西医大が科学的な「生物学的精神医学」の教室だったのに、教授のお誘いを断り(先生、ごめんなさい)、細々とカウンセリング(精神療法・心理療法)の道に進み、その人と寄り添うような精神科医を目指しました。もちろん、生物学的精神医学を専攻した先生でも、患者さんに寄りそう力を持った医師はたくさんいますが、ボクは敢えて狭い道に進んでしまいました。 認知症やメンタル領域の疾患は、手術で嘘のようによくなる医療を提供することはできません。ゆっくりと、それでもしっかりと病気と向き合い、「静

出合う人々(4)君がいることの幸せ

小説の世界は虚構であると言われます。でも、誰かの頭の中で構成された「虚構」が、多くの人々の人生を見つめなおす機会を与えてくれて、人生の道筋を示してくれることも事実です。現実の世界を淡々と描いただけでは成し得ないほどの感動を私たちに与えてくれるのが、小説という世界なのでしょう。 音楽も同様に、誰かの頭の中で出来上がった歌詞やメロディが、それを聞いた人の人生を大きく揺さぶることがあります。「君がいることの幸せ」をその歌は私たちに教えてくれます。 絵画の世界もそうです。およそ人生における「芸術」という世界はいずれも、そのままの人生を描き出したものではなくても、その世界観を通じて人々に生きる指針を示してくれます。 自分の臨床活動も同様の意味があると思っています。 何ひとつ、認知症についてわかったわけではないけれど、その病気を持った家族や知人が、その人生を意義あるものとして、生き抜くために、ボクのような医者の存在が必要なのかもしれません。科学的にはわからないことが多く、まだ、非科学的な医療の中にあっても、その人が認知症という病と出合い、思うようにならない人生を終えなければならない時に、その人生や病気に立ち向かった勇気ある姿を客観的に評価し、その人や家族に「これほどこの人は頑張ったのだ」と伝える役割が、ボクにはあるのだと思います。 長い人生を生きて、今でも青春の日々に感じたさまざまな思いを忘れることはありません。かつて、高齢になると「これまでの人生とは違って、卓越して成熟した人生観ができるのだろう」と思っていたのですが、何とボクの精神は鮮やかで生臭いのでしょうか。世間でいう「好々爺」になる