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ものわすれブログ

認知症疾患医療センター 

 やっと昨年12月に新築移転してから半年が過ぎようとしています。引っ越しのあわただしさが消えない2月24日にはウクライナのことがあり、あっという間の半年でした。ブログを呼んでくださっている皆さんも、この間、コロナ、ウクライナと、あわただしく過ごされたのではないでしょうか。


 その2月末、うちの診療所にはまるで「青天の霹靂(へきれき)」のような展開がありました。コロナかって? はい、確かにこの春は大阪でたくさんの施設が感染者を出し、医療の対応が難しかったこともあってたくさんの人が亡くなりました。うちの診療所でもコロナ禍が始まってから2年弱の間に感染した患者さんと、ほぼ同数の患者さんがここ数か月で感染されましたので、今回の波がいかに感染の広がりを示していたかがわかります。

 でも今回のことはコロナではありません。大阪市には大阪市立弘済院附属病院をはじめ3つの(地域型)認知症疾患医療センターがあります。認知症の診断、治療や家族支援、地域の啓発などを担当している認知症医療の要が、この地域型認知症疾患医療センターです。また、大阪市では北エリア、中エリア、南エリアと3つのエリアに別れ、それぞれ(連携型、かつて診療所型と言われたものです)連携型のセンターを指定しています。そのうち北エリアでうちの診療所に「北エリアの連携型認知症疾患医療センターに立候補してもらえないだろうか」と、ある筋から打診がありました。


 ボクはかなりいい加減な医者ですが、これまで大阪市のみなさんとは長いおつきあいがあります。医者になった年から(当時、精神科医がいなかったので)旭区の高齢者精神相談の嘱託医として15年ほど地域の認知症相談を受けていました。また、大阪市社協の大阪市社会福祉研修情報センター(当時は大阪市高齢者総合相談センター)の相談担当医として10年以上、各区の区在宅サービスセンターなどからの相談や、市民のみなさんの認知症を巡る相談をお受けしてきました。そして大阪市立大学では福祉の立場で学生の教育をしてきましたので、いわば大阪市と深いつながりがあります。


 そんな時、大阪市が連携型センターで困っていることを聞けば、たとえ今は半分以上短縮した診療しかしていない診療所でも(半分以上は妻の介護者としての立場ですから)、何らかのお役に立てれば嬉しいと思いました。

 うちの診療所の特徴は診断力ではありません。治療する力でもありません。でも診断を受けた認知症の当事者や家族が、この先、どうすれば良いかに迷い、苦しい日々を送っているなら、その時に話を聞き、何が課題か、何が希望かを共に考えるような認知症疾患医療センターになりたいと思っています。介護保険にも深く関わらせていただいてきましたが、この22年、「空白の時間」ともいえるような、早期診断を受けた人や家族が、実際に介護保険のサービスを利用できるまでには長い時間がかかります。その「空白」の時間を誰かが共感の中で支えることができれば、その人がたとえ認知症でも悪化が遅くなることは、これまでのボクの経験で確信しています。

 薬ではなく、ことばによる治療があるなら、ボクは自分の役割こそ、当事者や家族の人々のこころを安堵させてあげられるボクの経験からの一言だと思っているのです。


 だから、まだ当分の間、引退はできませんよね。この先、新しくした診療所の借金返済にも20年かかりそうですから(笑)、これを幸いにボクはまだまだ認知症診療を続けていくことにしました。


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