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ものわすれブログ

ゆれる気持ち(6)ボクも研究者?


 ボクはこれまでず~っと開業医と大学教員(福祉系)を続けてきました。精神科に入局した時から臨床医だけでなく、できる限り研究をする姿勢を取り続けてきたと思います。父と母は「(自分たちのような)開業医も地域の実践者として実りある人生だけど、自分が成り得なかった研究者としての道も無くすことなく続けていってほしい」と言っていました。ボクもそれまで知らなかったことを知ること=研究という堅いイメージではなく、知らないことを知る楽しさは小学生のころから持っていたようです。夏休みの自由研究や研究発表会というと、まるで学園祭の準備をしているような「楽しさ」があって、楽しかった思い出がいっぱいあります。ちなみに自分の中で最も熱中したのは、小学6年生の「ウナギの生態」の研究だったかな。

 「お前は私たちの診療所のことは忘れて、大学人として生きなさい。」と、両親は言いました。開業医の息子を縛り付けたくないと両親は考えたのかもしれません。でもね、ボクはそんな両親が培ってきた「開業医」という立場を捨て、生涯を研究者として人生を送ることを選びませんでした。両親の日々の医療には派手な研究などなく、学会発表や論文投稿はありませんでした。

 でも、ボクには忘れられない思い出がたくさんあります。大みそかの夜に酔っぱらった組関係の若者が「歯が痛い」と腹を立て、対応した父に悪態をつき、診療所の床に唾を吐きながら治療を受けていた時、「この場面、しっかりと覚えときや」と真剣な態度の中にも、目が笑っていた父がいました。突然、熱が出た子供を抱えたお母さんが診療所に電話して来たら、それが雪の日曜日の深夜であっても母は診療所を空けていました。帰りがけにそのお母さんは「診療費が高い。ぼったくりや」と怒鳴り声をあげて帰ったけれど。

 地域の臨床医としての姿をしっかりと一人息子に夫婦して見せつけておいて、大学だけに生きろったって、こっちはそう簡単になれるものではありません。研究もある程度続けながら、臨床医も続けるといった道はないものかと悩みました。さあ、困りました。

 でも、人生の転機は突然にやってきますね。研究者として第一歩を学ぶため精神科の大学院に入った年、それもボクが学会で横浜に出張している最中に、あろうことか父は心筋梗塞で急逝してしまいました。ボクは母にだけ診療させて自分は大学院に残るか、自分の限界とあきらめて診療所に戻るか…、

 迷っていたボクは関西医大精神科教授、木下利彦先生に救われました。「せっかく歯科医になった後も頑張って医師になったのだから途中であきらめるな」と、大学院を退学することなく診療所の理事長も兼任することを認めてくれたからです。これによって日々の診療をもとに臨床例から考えるボクの研究は25年続けることができました。

 もちろん、診療所の患者さんをめぐる臨床的な研究ですから、個人情報や権利擁護に配慮して「ボクも研究者?」と思い、ゆれる気持ちを克服して論文や執筆するのですが…。

 人には必ず誰か、救ってくれる「守護の天使」がいます。

 介護職のみなさんも日々の「介護」のくり返しだと思う人がいるかもしれません。でも、その日々に存在する「何か」を共有できる「誰か」がいるかもしれません。ボクのような医師であれば、目の前で起きている介護の課題が、医学面からなぜ起きるのかを知ることで、介護職の日々の努力の裏打ちとなります。なるほどこういうことだったのか、と思うことで介護職の自信につながり、自分の介護が利用者さんをどれだけ支えているか、実感することができます。できることなら、ボクは介護職の誰かにとって「守護の天使」になれるといいな~。


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