自分の役割(7)あなたがいるだけで、この世界は意味を持つ
- 松本一生
- 2016年10月19日
- 読了時間: 3分
この言葉はボクの「座右の銘」です。ユダヤ人精神科医のフランクルが残した言葉で、人は皆、それぞれの存在だけでこんなにも価値があると、強制収容所における究極の絶望の中で見出した言葉でもあります。
不治の病に侵された人々や認知症という慢性で治ることが難しい病気の場合、それだけで絶望的になることもあります。でも、常に希望があると思い続けられるのは、先人が残したこのような言葉から発せられる光のためでしょう。
それは介護の日々の中で人を支えたいと願う介護職が、「自分の存在の価値を見出せるように」と願っている気持ちとも重なります。介護家族や介護職・福祉職と医療が組むことが認知症のサポートには不可欠であると思い、ボクも認知症の人や家族、そして介護職など支援者の支援をする際、これまで当たり前のように使ってきたフレーズであり、自分ではわかったつもりでいたのですが…、
「ちょっと待てよ」と思う日がこの2年半の間に何度もありました。
味がわからず料理ができなくなっただけではなく、気分が沈んで生活が思うようにいかなくなった妻のケアを始め、京都の自宅に置いておけないために実家の診療所上階で生活するようになって2年半、ボクは改めて自分がこれまでこの言葉を本当は理解していなかったことに気づきました。これが良い言葉で人のこころを打つこともわかっていたつもりでしたが、改めて今回、妻の介護という閉塞状況を経験すると、これまで感じなかったほど新たな希望の輝きを放つ言葉になりました。
人の支援者となる人生を選んだ皆さんにも今回はメッセージを送りたいと思います。あなたは自分の人生を削りながら、それでも人のために生きようとした人です。たとえ専門職であっても、いや、専門家だからこそ日々の介護に疲れ、「自分はこの繰り返しの毎日を過ごして、本当に誰かの役に立っているのだろうか」と自問する時、この言葉を思い出してください。
「泣かないで、がんばれ」などとは言いません。むしろ、泣きながら、泣きながら、自らはボロボロになりながら、それでも誰かの役に立つ自分を求め続けるたくさんの介護職、支援職にこの言葉をささげたいと思います。
誰かのために生きる人がみんなの支えになっているとき、その人自身は自分のことを「できる人」だとは思っていません。ダメな自分の壊れそうになるこころと向き合い、それでも他者のために人生を費やすことをやめないなら、あなたは人を支え続けることを、人生から求められている人です。
そのような人がバーンアウト(燃え尽き)てしまわないように、全力で短距離を走り続けるのではなく、自分のペースを持ってゆっくりと長く走り続けることで、あなたを必要としている人々のために、あなたは最も大切で信頼感を持てる存在になるのだと思います。「弱さがあっても信頼できる人」として認知症の人や介護家族に寄り添いつづけてください。ボクも弱い自分を見つめながら、それでも現場の医者を続けようと思います。
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