ものわすれブログ

自分の役割(2)自分と向きあうとき

09/09/2016

 妻が母親を見送った時、ちょっと気になる発言をしました。「やっと終わった」という一言です。「マズいな」って思いました。27年にわたる介護者から解放されたとき、あまりにも一気に解き放たれると、体の不調が表面化するのは精神科医のボクにはわかること。それが2013年でした。札幌の講演から帰る途中で妻が(自宅のある京都で)発作を起こし搬送されたことがわかり、その後、妻は「料理ができない、味わからない」という状況になりました。ボクの介護者としての人生の始まりです。

 

 妻の母の介護・実際のケアは妻がやっていました。長年の介護による過剰ストレスから一気に解放されたことで、妻の体には訴えや不都合があふれだしました。まるでこれまで内側に潜めていた「生きるエネルギー」が介護を終えて目標を見失い、自分の体の「不都合なところ」に集中したかのように気分の沈みやこだわり、パーキンソン症状が襲いかかり、ボクは今回はじめて本当の意味で介護者になることになりました。

 

 さあ、妻の病気・自分との闘いです。これまでの生活が180度変わってしまうのですから、自分がふらふらしていてはいけないはずです。でもボクにはその覚悟がありませんでした。これまでの診察場面でも患者さんの家族から「先生、今回の○○の介護で私は人生をあきらめなければならないと思います。」と悔しそうに告白されたことが何度もありました。

 でも、そんな時、ボクは「当たり前じゃないか、家族の介護が始まったのだから」なんて冷たく考えていた自分を思い出しました。専門医としての意見は言えても、自分が介護の真っただ中にいる人の不安や絶望には、本当の意味での共感を示していない自分がいました。

 

 妻が具合を悪くした時に感じた恐怖は今でも忘れられません。「自分のこれまでの人生が終わって、これからは介護者として人生の残りを過ごさなければならない」という恐怖、絶望感でした。妻のことを案じるより自分のことを優先してしまいました。

 人さまには偉そうに専門医としてわかったようなことを言っているのに、自分の身に起きたとたん、ふてくされて人生を呪うなんて恥ずかしいけれど、これが本音でした。

 それから2年半、全国を巡っていた講演会は数が少なくなり、しかも日帰りで妻の夕食までに(妻が上階で療養している)大阪の診療所戻らなければなりません。医師会や研究会の夜の会合(午後8時など)にも行けません。

 

 朝から夕刻まで診察したら、そのあとは往診と食事の買い出しに行きます。自分の人生における役割が少しずつ変わり始めていることに気づき始めました。ジェットコースターのように上がったり下がったりする、日々のこころ、ちょっと勘弁してくれ~。

 でも、これが「自分の役割」なのでしょう。無理せずに診療も介護も執筆も、そして大学院の教員も自分のペースでできるように目指していきます。

 

 しかし、こんなブログをHPに載せたら良いクリニックを探しに来たはずの訪問者がびっくりして逃げていくでしょうね。でもね、こうしてボクは本音を読んでいただくことによって自分は救われます。「ボクは一人ではない」ってね。

 

 

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