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ものわすれブログ

クリスマスに、試されるボクら

 今年は激烈に暑かった京都、不安定な気温上昇・下降がくり返した秋の大阪、患者さんが例年よりずっとたくさん入院して、てんてこ舞いの10月、11月。そして12月なかばの寒波と豪雪で自律神経が乱れたここ数日と続きました。当事者のみなさん、介護家族のみなさん、ボクはちゃんとみなさんの気持ちや立場を考えながら日々の診療をしていましたか?忙しさのあまりに適当な対応だけしていた医者ではなかったでしょうか?


 今年、コロナ禍のために仕事がうまくいかなかった息子さんが、事業継続の苦しみと闘いながら母親の介護では自身の不安を見せず、恐怖から逃げない姿を見て、ボクはこころの底から泣きました。診察の時に気丈にふるまっていた彼が、実生活ではいかに不安や恐怖と向き合っていたか実感が伝わって来たからです。そんな彼とボクにとって診察の時間は、単にお母さんの認知症を診ていくだけでなく、彼のこころを支えるためのプロセスであり、同時にボクも彼からたくさんの勇気をもらいました。


 コロナ禍で入所している父親に会えないことを、自分の誠意のなさだと悩んでいた息子さんもいました。彼はできる限り無理を課しながらも自分を育て上げてくれた父親への気持ちを示したいと、精いっぱいの有料老人ホームを選びました。ところがコロナ禍の影響で面会が制限されました。施設側から考えると、感染を防ぐために当然のこと。いち早くリモート面接の体制を作ってくれたにもかかわらず、画面で見る息子さんの事をお父さんは認識できません。「早く自分が目の前で会ってやらなければ、父はどんどん悪くなる」と悩み、自分を責める息子の気持ちが胸に突き刺さりました。


 グループホームの職員として、今回のコロナ禍のためにいくつもいくつも制限がかかり、そのことに悩んでいた人もいました。入居者のために自分の生活を押さえても、人々の安定や安心のことを優先してきた人です。とくにコロナ禍で診療やケアの体制に変化が出て悪くならないかを心配して今年を過ごした心優しい介護職でもあります。コロナ感染が落ち着いていたかと見えた夏の終わりから秋にかけて、誰もが少し安堵して「このまま、こんなふうに推移するのかな」と思っていたら、第3波です。

 今度はこれまでとは桁外れに医療体制がひっ迫してしまい、何度もくり返す感染に、少しこころの疲れが出てきてもおかしくありません。でもね、気丈に頑張ってきたあなたを見ると、ボクにはいつも生きる希望が湧いてきます。


 自らも高齢であるためコロナ感染への恐怖が誰よりもあったに違いない医師が、それでも発熱した患者さんを診ながら、その人の認知症について「最期まで看取りたい」と相談してきたとき、ボクは彼の人生をかけた覚悟を見ました。引退寸前の90歳を前にした地域の「かかりつけ医」として逃げない姿を知り、ボクも医師としての人生を「こうありたい」と願いました。


 みんなが宗教の違いを超えて「メリークリスマス」と言い、あのベトナム戦争の時でさえ、爆撃を控えたクリスマスがくるのに、今年は密を避けてクリスマスのミサに参加することさえままなりません。

 でも、今年は誰もが自分の中の「神」と向きあった1年だったのではないでしょうか。それぞれの宗教的背景によって対象は違えど、誰もが自分のこころの中で何よりも大切に思うことと、それぞれ向き合った年であることを、ボクはとても感じました。

 言い換えれば、「自分の本質はどこにあるのか」、「本当の自分はどういう人なのか」を問われ続けた年であったように思います。正直に言うとボクはたくさんのことから逃げました。まるでなかったかのようにふるまったことも、苦く忘れられない記憶として残るでしょう。


今日の東京の感染者は822人です。でも、あと1週間でクリスマス。1年で最もひとがやさしくなれる季節に、今年のボクらは勇気と決断を求められています。泣きながら、苦しみ迷いながら、それでも人生を続け、介護を続ける人たちへ。わたしたちの願いが、祈りが届くように‥‥、今年はとくに、とくべつにみなさんにメリークリスマス。


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