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ものわすれブログ

ボクのこだわり、ふたたび(8)人生の時期


 これまでの人生を振り返ると(まだまだこの世からいなくなるつもりはありませんが・・)人生っていくつかの時期に分けられるんですね。皆さんも思い当たると思いますが、ボクもこれまでを振り返ると7~8年を一区切りにしていくつもの「時期」がありました。いつも書いているようにボクは勉強が好きでもないくせに長く学生生活を続けましたが、35歳でやっと医者デビューしてからも、何度か大きな方向転換の時期を迎えました。

 医者になってから最初の時期は父の後を継いで診療所に戻った時、これからの時代を考えて老人デイケアに取り組んだ時期です。確かその当時、大阪市内で2つ目の老人デイケア(精神科デイケアはいくつかありましたが)だったように記憶しています。今ではデイサービスで当たり前になった感がありますが、当時は「診療所の一角でみんなが歌を歌って何をしているんやろ~」と言われて、苦笑いしたこともありました。

 同時に介護家族のケアを考えた情報提供の時間+お互いの分かち合いの時間を組み合わせた「家族の集い」を続けました。今では地域や医療機関の家族会も当たり前になりましたが、当時は珍しく、いろいろなところから取材を受けたこともありました。

 そうしているうちに始まったのがボクの教員時代です。大学や大学院の教員を開業と並行して続け、あっという間に教える立場も20年になろうとしています。でも、そこでの限界を感じたのが2014年、妻の介護が始まった時でした。教えに行ける所にも(地理的な)限界ができ、時間帯にも制約が出てきました。昨今の流れを考えると、社会人入学の大学院生の講義を担当したいと思っても、その時間には自宅にいないと妻が不安定になります。介護生活が始まる前には診療後に深夜までしていた研究時間も取れません。

 さて、そうこうしているうちに介護人生は5年、経過しました。ボクは妻の介護のことで文句ばっかり言いながら過ぎた感じがしますが、先日、ふと考えるとこれが今の「あたりまえ」の生活になっていることに気づきました。これまで「こんな(介護の)状況はいけない。何とか打開しなければ」と焦っていたボクには、「これもこの時期の自分の在り方だ」と思う気持ちがなく、焦って何とか逃れようとしていたのかもしれません。

 そう思うと、はじめてボクがこれまでに担当させていただいた8000人近くの認知症のご家族に対して、冷たい医者だった自分がいたことに気づきました。だって自分が介護者になったとたんに「人生が終わった!」と嘆いたくせに、かつて診療で出合った介護家族に対しては、まるでその人が最初からケアラーであることがあたりまえと考えていた、かつての自分がいたからです。本当なら別の人生を送るはずだったかもしれない家族が、どれほど悩んだ末に介護家族としてボクの目の前に立っていたのか考えたことがなかった傲慢な医者がいたことを思い出すと、背筋が凍る思いがします。

 この時期は介護の時期、こどもを育たように介護の時期が5年、この時期は死ぬまで続くかもしれませんが、それと並行して次の時期を前向きに何かを考えるときが、そろそろやって来たように感じている今日この頃です。介護者でありながら、それは介護者にとっての人生最後の仕事ではなく、介護しながら当たり前のように、そうではない自分としても生きることができる世界を目指す手伝いができればいいな~と思います。特にヤングケアラーの未来のために、ボクの経験を何かに変えるときが来つつあるのかもしれませんね。


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