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ものわすれブログ

生きる場所(2)クリスマス後の鼻かぜ


 若かったころクリスマスイブにはカトリック教会で深夜のミサがありました。キリストが生まれた真夜中、すなわち25日になろうとする深夜に、毎年、ミサがあったのです。今のように休日に合わせて日をずらすこともなく、24日の夜は24日の夜、次の日に会社があろうと学校でテストが控えていようと、クリスマスの深夜には教会に集まって深夜ミサに参加したものでした。

 だからわれわれ青年会(うわ、古っ!)は朝からだしを昆布でとり、数百人分のうどんとそばを準備して協会に来る信者さんのために、毎年、準備をしていました。そのうどん屋(蕎麦屋)のイベントが終わり、しかも次の日になって食中毒などもなかったことを確認すると、ボクはほっとして熱を出したり、ひどい鼻風邪をひいたりした思い出があります。その後、精神科医になり介護家族のストレスを研究するようになった大きな原因なのかもしれません。

 5年ほど前、まだ、妻の介護をするようになって、どこに行くのも日帰りにしなければならなくなる前の年のクリスマスのころですが、ちょうどシンガポールの研究会に出かけたときにもウイルス性の半風邪をひいてしまいました。その夜、(風邪で)ちょっと気が進みませんでしたがクリスマスイブなので、ホテルの人に「地域のカテドラル(大聖堂)では深夜のクリスマスミサはないの?」と聞いたところ、親切にも丁寧に調べてくれました(余談ですが、そのホテルの京都店の横のマンションに今住んでいますが、本当に良いホテルです。でも、ボクには高すぎてジントニック1杯も飲みに行けやしない。隣だぞ、となり、それなのにいけないとは情けない)。まあ、愚痴はそのあたりにして、そこでもやはり深夜ミサはないとのこと。時代の変化を感じてしまいました。その時の鼻風邪も熱はないけれど鼻水が出て仕事になりませんでした。帰国して年末まで苦しんだ記憶があります。

 そして今、まったく同じ鼻風邪にやられてしまいました。マスクの中でも鼻が垂れるほど(すみませんね、年末にこんなネタで)。1月半ばが〆切の依頼論文を書こうとしても集中できず、

城 南海(きずき みなみ)さんの美しい声を聴いても鼻の奥のムズムズは増すばかり、いっそのこと久しぶりにジョルジュ・ムスタキ「私の孤独」を聞いています。鼻にかかってこれならいけるかも。

 こんなこと書きたかったわけではありません。今年はこれまで27年の開業生活で経験したことがないほど天候変化が厳しい年でした。認知症になって26年間、病気と向かい続けた勇気ある人も見送りました。ほかにも20年、15年、長く認知症と向き合った36人もの人(毎年の6倍です)を見送る年になろうとは、年の初めに考えもしませんでした。みんな、よく生き切りました。ボクはみなさんの努力を、生きようとした望みを知っています。願うことはたったひとつ、みなさんにとってボクは大切な人生を共に送る医者として、ふさわしいことができましたか。

2018年のブログはおしまい。


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