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ものわすれブログ

仲間として(10)最後の砦


 これまで本当に入居者のために良くやってくれた、関西のある施設が(今年度末ごろ?)その役目を終えることになりました。事業を起こすときのエネルギーを得ることは比較的に簡単です。ボクもかつて平成5年から12年まで(1993~2000)、当時はまだ珍しかった「老人デイケア」を開き、スタートするときはよかったのですが、介護保険の開始を見定めて役割の限界を感じ、その後、閉鎖した経緯があります。始めるときは不安の一方でわくわく感もあります。「うまくいくか、資金繰りはどうか」経営の素人が、それでも何かケアにかかわることを始めたいと試行錯誤した7年間でした。

 そしていくつもの診療科で大人数になった診療所(アルバイトも入れて50人超え)を、その後の何年かをかけて少しずつ縮小して、現在の5名体制にするまで縮小しました。ボクは縮小して専門的な外来にしたと思っていますが、人によっては「先代と比べると、えらいちっこく衰退したんやなあ…」という人もいて、複雑な気持ちにもなりますが。

 職員の生活を保障し、人生をかけて診療所に勤めてくれた人たちが、たとえうちの診療所を退職しても、その後、気軽に「やあ」と訪れられるような退職、再就職を目指して、組織を縮小するということは拡大することの何倍も努力が必要であると学んできた20年弱でした。

 でも、ここまで読んで何か違和感を感じませんでしたか?そうですよね、利用者さんのことを全然書いていません。組織の職員や「提供する側」のことしか書いていませんから。

 老人デイケアを閉じるとき、本当に苦心したのは、利用者(うちは診療所デイケアだったので患者さん)と家族が日々の支えとして来てくれていた「行き先」がなくなることへの対応でした。当時は今とは異なり、数えるほどしか「デイ」の設備を持ったところがありませんでしたので、看護師長をはじめスタッフ一同が患者さんの行く先を求めて1年近く時間をかけたものでした。それでも行動・心理症状のために他のデイケアに移れないある女性に対しては、看護師長がその後、数年間よりそい、状態が落ち着くまで対応しました。

 何も「うちの診療所はそこまでしっかりとやった!」と主張してみんなに認めてもらいたいわけではありません。そこまでやり遂げたのではなく、それまでの経過からやり続けなければならなかった、というのが実情です。頭の中で考えた「撤退」のスケジュール通りにはいかないことも多く、状況によって左右される患者さん(利用者)の具合を考えながら、その時々の判断をしなければなりません。時には採算を度外視する覚悟で、身を引かなければならないことがあるのだと、介護保険が始まった年に痛感して、その後、介護には手を出さず専門医に徹してきました。

 さて、その施設にはボクが担当して在宅ケアを経たのちに、うちの診療所(すなわちボクです)の勧めで大阪から入居した人が何人かいます。その人たちにとって、そして介護家族にとって最後の砦となり、人生の最終段階を成し遂げるまで安心だと思ってきた砦を倒壊させないために、そしてすべてをかけて入居した人と家族のためにケースワークをして必ず行く先を見つけます。頼りない医者でもこれまで仲間としてやってきた「最後の砦」の窮地に手助けができれば、と思う今日です。 


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