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ものわすれブログ

出合う人々(2)人生が変わるとき


 ある友人が体調を崩しました。ボクが2014年、妻の介護をしなければならなくなって、先の人生に絶望していた時に出会ったその人は、ボクを「必要だ」と言ってくれました。そのことでこの数年、自分が今置かれた場所で、これまでとは違った流れの中にいても、新たな役割を模索することができることを知りました。

 その恩人が今、困難と向き合っています。その人を助けることができるほどの力のないボクは、それでも力になりたいと思っています。迷い、苦しみ、先が見えない時にこそ、黙ってそばにいてくれる誰かが必要になるかもしれませんから。

 これまで多くの人との出会いや別れがありましたが、いつも心に残っているのは、自分が好調で大きく見える傲慢なボクではなくて、とんでもない失敗や人には言えないことをしでかした時期に、それでも傍らから見守ってくれた人の姿です。

 最もつらい時にいてくれた人々との出会いが、今の自分が生きていることへの証明、生き続けることへの理由です。

 認知症の親の介護をしている子ども、支援することを人生の目的にしている介護職、妻を介護するオヤジ、立場の違いはあっても、誰もが困難に立ち向かう時があります。勇気が試されるその瞬間に、だれもが戸惑いながら、泣きながら、それでも前を向きながら‥‥。

 ボクが精神科医になって以来、ずっと会員を続けてきた日本家族研究・家族療法学会で、ある先輩に教えてもらった言葉があります。その先生は若かったころのボクにこう言いました。

 「松本くん、人生を一人の人間に例えるなら、何もなくて安泰なのは15%、それ以外の85%は困難に立ち向かう人生、そして家族全体を一人の人間に例えるなら、家族みんなが幸せで何もないのが15%、残りの85%は、誰かに何か困難があるんだよ。つまり、人生は、そして家族は困難との付き合いの連続だ。だから家族療法は家族を支援し続けるんだよ。」

 たしかに自分の人生を振り返っても、困難だらけでした。今もそうです。

 でも、そこから何を見出すか、そこから見えてくる世界に、どうやって光を見出すか、その作業を続けていくことが人生なのでしょう。

 あきらめたくなる時にも、投げ出したくなる時にも、ボクを支えてくれた人びとが自分をあきらめなかったように。

 ボクはそんなに強くないからなぁ、調子のよい時には自分が無敵に思えるのに、ちょっとうまくいかなくなると、途端に凹んでしまうからなぁ。

 それでも見守ってくれた人のためにも、生き抜く姿を見せましょう。絶望的な状況にいるからこそ、そこで何らかの光を感じることができれば、すでに変化は起きているのですから。


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