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ものわすれブログ

日々を生きる(7)長い別れ・天空の花火


 大阪の街が天神祭り一色になる7月24日、長く認知症と向き合ったある男性がグルーホームでひっそりと旅立ちました。苦しむことなく最後の息を終えたと聞きました。

 7月17日は京都の祇園祭の前祭り(さきまつり)、24日は後祭り(あとまつり)、25日は天神祭りで奉納の花火大会があります。

一年でも最も華やいだ季節は、冬と並んで認知症医療にはもっとも気をけなければならない季節でもあります。冬には寒さのために血圧が変動しやすく、高血圧から脳内出血に気を付けなければならないことや、部屋の寒暖の差、着替え室と浴室の温度差や湯船の温度などから倒れてしまう「ヒートショック」に注意が、夏には脱水が起きることで脳梗塞にも大変注意が必要です。急激な暑さや7月のゲリラ豪雨、低気圧の近づく際の体調急変などに加え、夏に食事がとれなくなると体調を崩してしまうひとは少なくありません。

 もう何年も何年も前から、その人はボクの外来を定期的に受診してくれていました。ご本人が飛行機好きだったこともあり、時には空港に見に行った話、着陸しようとする飛行機を見ることが楽しいと、話をしたものでした。

 グループホームに入ってからは自発的な言葉が出にくくなりましたが、それでもボクが訪問するたび、「ここから飛行機が見えますか」といった話を続けてきました。その人が今年の春に体調を崩しました。初夏から続いた混乱は収まったのですが、それと入れ替わるように少しずつ生命力を使い果たし、長い別れの夏となりました。

 彼が認知症と向き合った何年もの間、その人を支え続けた家族がいます。日々くり返される介護の日々をよくぞ限界まで続けてこられました。そして彼が在宅ケアの限界を迎えたときに、受け入れてくれたグループホームの職員たち。彼らがいてくれたからこそ今日まで彼は認知症になり言葉を失いはしましたが、その人生を生ききることができました。

 あの人に、家族に、ボクはしっかりと伴走することができたでしょうか。たとえこれまでと違った状態になっても、彼がそれでも生きることを諦めず、何年も闘病の時を過ごすとき、その彼の気持ちにより沿いつづけようとする自分がいたか、思い返しました。

 彼と家族、ボクとの連携を支え続けてくれた人びとこそ、志を持ってグループホームでのきつい仕事をこなしながら単に利用者としてだけでなく彼の希望に伴走してくれた人たちでした。

25日の夜、祭りの花火は旅立つ彼の魂とともに、家族やグループホームの仲間、職員を見守りながら大阪の夜を舞っていたのではないでしょうか。

よく生きようとし、ケアを受け、生ききってくれた彼の姿から、明日もまた誰かの伴走者になりたいと願いました。

(個人情報保護の面から人物像は特定の人とわからないように変更して記載しました。)


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