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ものわすれブログ

診療にて(10)医介連携の原則(母の命日)


 6月12日は内科医だった母の命日です。亡くなる1か月半前まで診療を続けた母はその3年半前に盲腸からはじまったがんがお腹中にひろがって、気づいた時には手遅れになっていました。それでも「できる限り現場に立つ」と言い続けました。その母を見送って、今日でちょうど6年たちました。

 生前の母は今でいう「医介連携」を重視していました。ボクも常日頃から「介護と医療が連携することが大切」だと言い続けています。かつて診療所に老人デイケアを作り、実践した7年間がありました。平成5年から始めましたので、今では当たり前のようになった医療機関+ケアを早く始めた診療所の一つだったと思います。

 そこで気づいたことがありました。それは認知症の悪化防止の観点からみると、ケアの力でその人が安定することで、認知症事態の悪化を遅らせることができるという結果から得られた実践に基づいたエビデンス(実証)の結果でした。「介護の情報をできるだけもらい、それをもとに医療としての役割が果たせれば、結果的には薬の少量さえ減らすことができる」と確信したのでした。

 それでも介護だけではカバーしきれないことが起きれば、医療としては少量の服薬という方法をもって介護をカバーすることができます。薬というと悪者にされがちですが、どっこいそんなことばかりではありません。できる限り少ない種類の薬を少量処方しながら、介護側の力も借りて安定を図ること、それが究極の「医介連携」になるはずです。

 そこに必要なのはお互いに対する信頼感です。医療が介護から積極的に情報をもらうことで日々の生活を知れば、必要な薬や治療方法がおのずと見えてきます。医療側が介護からの情報を拒否したりケアマネジャーとの連携を拒む様であれば、日々の生活を知ることなく医療行為をすることになりますから、おたがいに配慮しながら連携を行うことが大切です。

 当然のことですが、そういった連携のためには介護側にも処方を守ってもらわなければなりません。先日、びっくりするようなことがありましたので、特定個人のプライバシーに配慮しながら、ここに書くことにしました(この場に登場する人々のエピソードは全て事実に基づいていますが、町の診療所の患者さんの特定ができないように、何例かの事実を合わせてある人物として書いています)。

 ある人を施設でケアしてもらうときに、こちらから処方した薬(を飲むか飲まないか)を介護職が自己判断して、服用していませんでした。介護職はそのことをこちらに告げず、結果としてその人は夜間に大混乱し、安定することなくケアがよりたいへんになり、その人は施設にいられなくなってしまいました。

 大切なのは連携、そして隠し事なくお互いが連携して、決めた約束はお互いが守る。これって医介連携だけじゃなくて人間同士の基本じゃないですか。相手の立場を認め、意見の相違は許し合い、正直に情報を分け合うからこそ、誰かを支援できるのです。

 ボクは何もその介護職を責めているのではありません。おそらくこれまでにも医療に相談したら山ほど薬が出てしまい、介護職として苦い経験をしたのかもしれません。でも、ボクに内緒で連携の原則を破るなんてヒドいョ。ケアを信頼しているからこそ、そのケアに見合った処方をしているし、そこでの様子を教えてもらってこそ薬の調整ができるのに~。ボクはそんなに話のわからない医者かョ~。

 母の命日に「母が同じ場面に出会ったら、さぞ憤慨したろうな~」と思うエピソードでした。


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