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ものわすれブログ

診療にて(5)思い出すこと


 毎年のように日々は巡り、今年も5月の連休を目前にする日々がやってきました。ボクには家族の誕生日や亡くなった日など「忘れがたい日々」がありますが、この精神科医としての生活を通して忘れられない日が2日、あります。ひとつはパーソナリティ障害の娘さんが長年にわたり診療に来られていて、ある日、この世と決別して高層マンションから飛び降りて亡くなった8月4日、そして妻を介護していた山田良夫さん(仮名:当時66歳)が亡くなった5月5日です。

 彼のことは拙著、「介護のこころが虐待に向かうとき(ワールドプランニング)」で最終章に書かせていただきました。脳血管障害の後遺症から認知症を発症した妻長年にわたり介護してきた山田さんは私が時に呼ばれて講演をする中部地方の介護施設にあるデイサービスの送迎運転手をしていました。

 送迎の際に高齢者が転ばぬように、しかもケアされていることを気兼ねしない程度に寄りそう彼の姿に感激しました。高齢者のこころが全てわかるのではないかと思うほどに、細かなところまで気が付く彼の振る舞いに感動した私は、講演会に招かれたある日、山田さんとデイサービス室にいました。私の講演会までの控室にしてくれたその部屋で、何気なく彼に私はいつも思っていることを伝えたかったのです。

「山田さん、いつも笑顔で本人主体のケアをして、ボクが横から見ていても気持ちが良いですよ」と告げたときに、彼の顔が歪んで次のように言い始めました。

「先生、ここの人たちの喜ぶ顔があれば、私は許されるでしょうかね。私ね、妻の介護をしていたんです。いろいろと苦労を掛けた妻が脳出血で倒れたのが7年前です。55歳でした。救急で搬送された時には『命だけは助けてほしい』と思いますよね。でも、その後の在宅介護では大変な時期が始まりました。

 うちは子供もいなくて私一人の介護です。夜中に起きては何か食べようとして言うことを聞きません。寝たきりになってくれたほうが良かったかもしれないと思ったこともありました。夜中の2時、3時に起きだして、こちらの言うことを聞きやしない。後でわかったことですが、すでにそのころには認知症になっていたんですって。あとで内科の先生に聞きました。

 夜中に何度も何度も起きて、こっちも次の日の店(飲食店)のことがあると思うと、一晩中付き合ってはいられないから、我慢して、がまんして寝かせようとしました。でも、ある晩、ついに糸が切れてしまいました。」

 彼がボクに語ってくれた言葉を一生忘れることはありません。彼は続けました。「自分でもあの時のことはあまり記憶にはありません。でも、ふと気づくと私は毎晩大声で叫ぶ妻の口にタオルを押し込んでいました。窒息しけかけるまで枕も押し当てました」、と。

 「その時に私は思いました。これでは妻を殺しかねない。これまで自分のことなど二の次にして私を支えてくれた妻を、私は殺そうとしました。妻はその後、あの時の影響があったためかずいぶんと弱ってしまいました。だから妻を入所させたのです。その償いができているでしょうか。私の今の振る舞いは妻への償いのためです。私はここの人たちのためになっていますか。私ね、妻に許してもらいたのです」とも、彼は泣きながら言いました。

 これは彼の祈りです。だからこそ彼には後悔を乗り越えて、人々の役に立ってほしいとも願いました。その彼が心筋梗塞で亡くなったのが「子どもの日」、5月5日でした。彼の人生を考え、彼がやってしまったことに思いを馳せ、そして彼と同じ立場に立つ今のわが身を考えるとき、改めて彼の償いからの仕事が輝いて見えるのでした。山田さん、あなたがしてしまったことは取り返しがつかないことだったかもしれませんが、そのことを取り戻すかのようにあなたが注いでくれた愛情に満ちた送迎の風景を、ボクは忘れることはありません。あなたを見るたびにボクはフランクルの言葉、「あなたがいるだけで、この世界は意味を持つ」という言葉を思い出します。

 世界が混とんの中に沈んでしまうかもしれない日だからこそ、ここに書きたいと思います。かつてボクに夢を与えてくれたアメリカが混乱し、パリの市民が恐怖と向き合うときだからこそ、人は自分の過ちを糧に、より他者のために存在すること目指さなければならない時を迎えます。ボクたちもまた、自分の怒りではなく他者のために人生を送る世界を築けますように。


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