絶望に立ち向かう勇気
12月1日に新診療所への移転をおこない、ボクの診療は落ち着いてきましたが、この記事を読んでくれている人の中には昨年12月の西梅田の心療内科クリニックへの放火事件の直後、ボクがこのブログに載せた追悼(1週間のみ掲載)を読んでくださった方がおられるかもしれません。
鎮魂の気持ちを込めた文章は収めて、再び新診療所体制への意気込みを伝えようとしていたら、また、在宅訪問診療をしてくれたチームを標的にした散弾銃での殺傷事件が飛び込んできました。本当にこころが消沈してしまいそうな事件でした。でも、沈みそうになる気持ちを抑えて、それでも前向きにやろうと努めていたここ3か月、ついにオミクロンの感染が広がり、大阪では軽症から中等度の病床があっという間になくなり、大阪は10万人あたりの感染者が1000人を超える事態となりました。
世界の危機も近づいているようです。ウクライナはここ数日がヤマ場だとニュースが伝えています。ボクを世界中で最も評価してくれた台湾の友人たちへの侵略(意見には個人差があります)も現実味を帯びてきました。「何だ、この状態は」21世紀は立場の違いを超えて、みんなが多様性(ダイバーシティ)を認め合う時代になるはずではなかったのでしょうか。
幼いころ、第二次世界大戦の終わりに戦闘機の機銃掃射から身を守りながら、女子医専(今の関西医大総合医療センター)の屋根の警備当番をした話を語っていた母(当時は医学生でしたが)が、「お前たちの時代には一生涯、戦争には巻き込まれないような平和な時代を作らないといけない」といつも言っていた言葉を思い出しました。
「何をそのようなことを。こんな平和な世界が変わるはずないじゃないか」と思っていた自分が、今は何と気楽なことを言っていたのか、今考えると恥ずかしくなります。
つい先日も知り合いの介護施設から、最後の決意とも思えるようなメッセージが届きました。「これまでとは比べ物にならないほどの感染の広がりで、医療はひっ迫し、施設内でのコロナ感染のケアが思うようにいかず、感染する職員も増え続けている」、と。彼らは闘い続けるつもりですが、マンパワーが枯渇してきました。感染の流れも若い人の場合には悪化しないかわりに、高齢者の場合には入院が避けられないほど悪化して、重症者は(やはり予想どおりに)高齢者に集中しています。
世界がこのような混沌に包まれる今だからこそ、私たちはここで自分に、そして家族や仲間に言い聞かせなければならないのかもしれません。このような絶望の時期だからこそ、われわれには希望を捨てずに光を求め続ける勇気が必要です。「やまない雨はない。いつかは晴れる」と、人任せに待つのではありません。これほどの絶望の連続であるからこそ、ボクは勇気をもって絶望しそうになるこころを自ら積極的に奮い立たせて日々を送る人との連帯を目指します。今こそ連帯の時、ボクらの覚悟が求められる時なのです。
夜が明けました。今日も外来の診療です。病と向き合いながら、そしてこんな世界で生きている仲間として、ボクはせめて診療を終えた人々や家族が「こんな世界でも」笑えるよう一瞬を作りたいと思います。「~にもかかわらず微笑むことができる勇気を」絶望の先に見つけていきたいのです。
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