- 2019年3月11日
生きる場所(8)この春、もう8年になるのか
もう8年もたったのですね。まだ、つい昨日のように思える人も多いはず。2011年は誰もが忘れることのない東日本大震災とそれに続く原子力災害の時。黒い津波が押し寄せてくる仙台空港の中継をリアルタイムで見ながら、3年半に及ぶ手遅れで末期の腹腔内がんとの闘いの最終段階に来ていた母が...
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- 2019年3月6日
生きる場所(7)認知症という希望
あと2か月で平成は終わりですね。いよいよ5月末には日本認知症ケア学会の第20回大会が京都、宝ヶ池の国立国際会館で開かれます。学会理事長の繁田先生が京都大会の大会長でタイトルは「認知症という希望」。 ボクも一般演題を発表します。本当に久しぶりです。妻の具合が悪くなる前にも数年...
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- 2019年2月17日
生きる場所(6)それぞれ「人生の時」の役割
昨日、出身大学である歯科大学の市民講座を終えて京都に戻ったとき、これまでに無いほどの疲れを感じました。前に書いたと思うのですが、ボクの役割は第1に認知症を診る臨床医、第2の立場は大学での講義や講演会で、少しでも多くの人に情報を提供すること、そして第3の立場が論文や執筆を通し...
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- 2019年1月28日
生きる場所(5)前頭葉側頭葉変性症
ものわすれの病気、認知症にはたくさんの種類がありますが、「生きる場所」について最も周囲の者が注意しなければならないのが、前頭葉と側頭葉が変化する前頭葉側頭葉変性症です。その中にはことばが出にくくなるものや、激しい症状が出るタイプもありますが、ボクがこれまでに担当した患者さん...
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- 2019年1月9日
生きる場所(4)手帳!大感謝!!
新年早々、大阪の万博で認知症のテーマ館、などと大きなことを書いていたら、足元をすくわれてしまいました。医者になってから毎年、ずっと使い続けてきた手帳を四条河原町の地下にある銀行のATMで落としたらしいのです。自宅に帰ってから手帳がないことに気づきました。...
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- 2019年1月2日
生きる場所(3)街中の青春、続けるぞ!
この文章を書き始めた2016年の年末には、確か妻を就寝させた後に文章を書いていたと思います。2017年末には12月31日から32日にかけて、と題して介護職や新年のお客さんを迎える立場の人とボクも一緒だな~と思うほど、普通の日と同じ年末年始が妻の安定には必要でした。...
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- 2018年12月27日
生きる場所(2)クリスマス後の鼻かぜ
若かったころクリスマスイブにはカトリック教会で深夜のミサがありました。キリストが生まれた真夜中、すなわち25日になろうとする深夜に、毎年、ミサがあったのです。今のように休日に合わせて日をずらすこともなく、24日の夜は24日の夜、次の日に会社があろうと学校でテストが控えていよ...
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- 2018年12月20日
生きる場所(1)晩秋の転居で見えたもの
いろいろな経過があり一概には言えませんが、その人が生きる場所によって認知症の状態像が変わることはよく知られています。妻は認知症ではないけれど、この5年弱の期間を「不自由」に過ごしてきました。退院時に京都の自宅で昼間を一人で過ごすことができず、不安のために仕方なく大阪の診療所...
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- 2018年12月2日
仲間として(10)最後の砦
これまで本当に入居者のために良くやってくれた、関西のある施設が(今年度末ごろ?)その役目を終えることになりました。事業を起こすときのエネルギーを得ることは比較的に簡単です。ボクもかつて平成5年から12年まで(1993~2000)、当時はまだ珍しかった「老人デイケア」を開き、...
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- 2018年12月1日
仲間として(9)引っ越しおっかなびっくり
京都に戻ったのが11月4日、それ以降、おっかなびっくりで過ごしました。「もし、無理なら大阪の診療所上階に戻る」と覚悟してから1か月弱、賭けのような決断をしたにもかかわらず(奇跡的に)妻は落ち着いています。自宅には戻れないけれど街中のマンションなら隣近所にもそれほど気を使わな...
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