- 2016年12月13日
特別メッセージ 「ごめんね苫小牧」
平成4年に父が亡くなり開業医兼大学院生となったころ、世間にはまだそれほど多くの精神科医がいませんでしたので、開業2年目からさまざまな講演を依頼されてきました。その数がこの12月で2050回を超えたのですが、一昨日の日曜日にえらいことをしでかしてしまいました。...
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- 2016年11月30日
日々のこと(1)毎日聞く言葉
今朝も5時半に起きました。いつもそうです。診療所の上階にいるようになって、妻の朝食の準備が終われば、その後は診療室に下りて書類書きが待っているからです。紹介された患者さんの返事を医療機関に書き、介護保険の主治医意見書も毎日2~3枚、医療機関や介護施設への情報提供書も合わせる...
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- 2016年11月20日
自分の役割(10)介護するこころが追いつめられないように
自分が妻の母親の介護家族として過ごした27年、母の末期がんに付き合いながら、彼女の人生を全うすることに協力した3年半(その時にはすでに妻は体調を崩して介護者として協力できませんでした)、そして妻を介護する2年半、先日も妻の夕食の買い出しのために午後の診療を終えて商店街に買い...
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- 2016年11月10日
自分の役割(9)辛い時こそあなたを思う私でありたい
今日で60歳になりました。若い時には、還暦になった自分はもっと大人でしっかりとした考えのもとに人生を生きているはずだと思っていましたが、何と人の気持ちは変わることなくフラフラとしているのでしょうか。こう思うのはボクだけでしょうか。そう思うのはボクがまだ青春の迷いの中にいるか...
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- 2016年10月29日
自分の役割(8)21世紀老年
1964年の東京オリンピックの時は小学生でした。大阪の万博の時には中学2年生、自分が介護者として次のオリンピックの時には老年に近づくとは考えもしませんでした。 開業医になった年、行政からの依頼を受けて保健所(今は保健福祉センター)の嘱託医になり、たくさんの人を地域担当の保健...
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- 2016年10月19日
自分の役割(7)あなたがいるだけで、この世界は意味を持つ
この言葉はボクの「座右の銘」です。ユダヤ人精神科医のフランクルが残した言葉で、人は皆、それぞれの存在だけでこんなにも価値があると、強制収容所における究極の絶望の中で見出した言葉でもあります。 不治の病に侵された人々や認知症という慢性で治ることが難しい病気の場合、それだけで絶...
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- 2016年10月10日
自分の役割(6)あの人から私が消えゆく哀しみ
今回は認知症の人自身が自らのものわすれに気づいていないときに、家族の気持ちをどうやって支えるかについて考えたいと思います。ある程度に認知症の症状が出ているにもかかわらず、「自分は病気などではない」と医療機関受診を拒む場合、家族は途方にくれます。「早く受診して治ってもらわなけ...
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- 2016年9月30日
自分の役割(5)それでも人生にイエスという
認知症とひとくくりに言われても、いくつもの種類があります。アルツハイマー型にはそれの、血管性にはその特徴があり千差万別です。しかも大きく分けると認知症の自分に気づいている人と、気づかない人がいるのも大切なポイントです。ずっと自覚しない人もいれば、通院が長くなるにつれて自覚が...
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- 2016年9月20日
自分の役割 (4)診察のあした
「今日、初診で来られたあの人は緊張していたな」と思うことがよくあります。当たり前でしょうね、初めて医者にかかるときには誰だって緊張しますから。認知症とひとくくりで言われても様々な形のものがあるのは、みなさんも聞かれたことがあるでしょう。例えばアルツハイマー型ならどういった特...
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- 2016年9月15日
自分の役割(3)3つの立場
精神科医として認知症の人や家族と寄りそいたいと願い臨床を続けてきましたが、いつも3つの役割を考えています。第1の最も大切な役割は日々の診療です。開業医として何よりも毎日の現場での診療が大切です。次に大学や大学院での講義と各地域での講演で、第2の臨床と考えています。診療室では...
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