新しい試み(3)自らの意志を全うした人に
今回で100回目のブログです。それなのにまた悲しいニュース。スリランカで320人も亡くなる自爆テロがありました。もう、悲しむのに疲れてしまいました。宗教の違いや意見の相違など、多様性を認められない人類っていったい何なのでしょう。宗教対立など考えられなかった穏やかなイスラムの人と仏教の国が教会を爆破、国際テロとつながっているなどと…。
平成20年過ぎたころだったでしょうか、ある患者さんにかかわらせていただくことになりました。病名はある種の認知症です。その人はこれまでずっと一人暮らし、結婚する機会がなく多くの資産もお持ちで、都心のマンションで一人暮らししていました。一人暮らしができるというと「軽度認知障がい」のレベルだと思われるかもしれませんが、とんでもありません。立派な認知症中等度から重度に近くなっている人でした。でも、ご本人の自尊感情や自負心は大したもので「私、なんでもできます」とのこと。きょうだい思いの家族のかかわりもやんわりと拒否して、ひとりでマンション暮らしを続け、10年が過ぎました。
彼女が何年もの間、自分の意思で生活できたのは介護職のみなさん、ケアマネジャー、在宅訪問診療を引き受けてくれた内科の先生、そして大阪司法書士会の司法書士の先生(後見人)のおかげです。司法書士の先生は彼女の財産を管理してくれただけでなく、うちの診療所への通院にも毎回、同行してくれました。言いかえれば当院の月一回の受診が、彼女のミニ担当者会議になっていたようなものでした。
そんな元気な彼女も認知症の影響で食生活がうまくいかなくなり、上顎に腫瘍のようなものができて食べられずに人生を終えましたが、最後まで本人の希望を叶えながらその人の気持ちに寄り添ってくれた後見人とケアマネジャーの「心意気」がなければ、この生活を続けることはできませんでした。
別の例ですが、数日前、一人住まいを希望してずっと独居を続けたお母さまを見送られたことを息子さんが報告に来てくれました。その人も自宅で生活することを切に望み、息子さんは近所の家から頻繁に通い続けてくれたのですが、一緒に住むことはご本人が拒絶され、5年以上も通い続けてくれました。そして彼女はある朝、倒れてなくなりました。息子さんがかけた愛情と、自分の考えもあっただろうと思いますが、それでもお母さんの気持ちを大切にした5年は、何にも代えがたい親子の交流でした。
介護保険の制度を早く活用して、少しでも負担がない生活を、と望む声がある一方で、本人からは「いつまでも慣れ親しんだところで生活したい」との声を多く耳にします。そのどちらもが正解なのでしょう。その人の気持ちに寄り添い、一方ではその人や家族の利益のことを考えて、少しでも良い選択ができるように、一見すると矛盾するようで根の部分ではつながっています。「その人の幸せも私の幸せも大切にするこころ」です。自分の意志が強いほど、自分とは異なる価値観を持つ人も尊敬できるようになること。そんなボクになるために人生を生き切ってみたいと思いました。