生きる場所(9)緊急声明:祈りの場を汚すな
- 松本一生
- 2019年3月17日
- 読了時間: 3分
3月15日にUPした原稿で2年間にわたる朝日新聞デジタルの「認知症と生きるには」のコラムが最終回を迎えました。実際にはこれで終わりではなく4月から新しい内容で「認知症と生きるには」のタイトルそのままに新シリーズが続くことになりました。その思いを書こうとしていたら、とんでもないニュースが飛び込んできました。
ニュージーランドのクライストチャーチでモスクが乱射されました。亡くなった人が50人。祈りの場にイスラム教の礼拝日である金曜日に集い、祈りをささげている人に向かって犯人が乱射しながら、その様子を配信するという信じられないテロです。
宗教の違いはあっても、どの宗教でも「崇高」な存在に向かって敬虔な祈りをささげるために人々が集まります。今ボクが住んでいるマンションからも平安神宮の大鳥居のてっぺんが、そして東山の清水寺の屋根が見えますが、だれでも信仰の対象になっているものに対しては、礼節と畏怖の念を持つはずです。どの宗教が正しくて、どれが優れているかなどは問題ではなく、人という存在が家族や仲間のことを思って祈りをささげる信仰の場所は決して汚(けが)してはなりません。
平安神宮や清水寺、バチカンのサンピエトロ寺院で乱射事件が起きることなど想像すらできないように、モスクの礼拝を乱射されたイスラム教の人々のこころの傷の大きさを思うと、いたたまれません。ボクはたまたまカトリックというキリスト教の中で生まれましたが、宗教的背景がない人であっても神社やお寺の荘厳な雰囲気の中では、その宗教に敬意を払うべきものであることは人類共通の価値観だと思います。
特に今回の事件は信仰の厚いイスラム教徒の人々が、祈りの場で攻撃を受け、亡くなったことがショックで、言葉を失っています。これまでにも宗教上の対立から不幸なことがあったけれど、いつになったらこの世界は人種や宗教、考え方の違いをお互いに認め合い、不寛容な世の中から脱却するのでしょうか。
世界中のイスラムの人々とともに、心から哀悼の意を表したいと思います。同時にこのブログではこれまでに怒りを表したことがなかったかと思いますが、今回は怒りに満ちて文章を書いています。世界中の人々が自分ではない誰かの幸せを願って、自分の信仰の対象に向き合うことは、人間に与えられた最も価値あることのひとつ。それを妨害しようとするものに対して、ボクはイスラムの人々と連帯しながら怒りを表明します。
NHKのニュースではクライストチャーチの大地震のために崩れたカテドラル(大聖堂)で宗教の違いを超えて、亡くなった人を追悼していました。日本の建築家の「紙の教会」で祈る姿が映っていました。世界中の怒りが祈りにかわり、支援の輪が広がりますように。
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