報告があります!
- 松本一生
- 2018年11月9日
- 読了時間: 2分
10月10日に前回のブログを書いてから、1か月も空いてしまいました。ボクがブログに飽きたか、または病気で書けなくなったかと心配してくれた人もいるようで、「どうした?」とのメールが何件か入ってきました。
実は報告があります。9月から予定し始めてこの11月初めに、懐かしの京都に戻りました。30年以上住んだ街ですから、大阪生まれのボクにとっても懐かしいものです。とくにブログでも書きましたが、大阪の実家兼診療所の上階で妻の介護を始めてから4年半、京都に住めなくなった妻を呼び寄せた形で大阪生活をしていました。少し妻の状態が落ち着いたようなので、今回が最後のチャンスだと思って引っ越しを計画しました。慎重に、より慎重に妻が(住居や環境が変わることによって起きる)リロケーションダメージを受けないか慎重に考えて、何か月もかけました。
今日でほぼ1週間、何とかダメージはないようです。京都御所の南側にある自宅にいたとき、体調を崩したため、そこには戻れませんでした。そこで京都市役所のすぐ北にあるマンションを住まいに定めました。大きな賭けですが、やってみる価値はありますから、ね。
「大阪の診療所も捨てて京都に行くのか?」とある友人に聞かれましたが、そんなことは考えたこともありません。両親が68年前に始めた診療所は、ボクのものではなくて地域の社会資源です。そう簡単に移転するわけにはいきません。この春にボクが担当させていただいてから26年期続けてくれた患者さんを見送りましたが、その次に長く来てくれている人は25年、19年目の若年性認知症(だった)人もいます。治療して全快させてあげることはできませんでしたが、その人がその人らしく天寿を全うしようと日々を送る時に、医者として人生を共に過ごす人たちがいます。勝手に動くわけにはいきません。
2018年は厳しい年でした。年明けから気温の変動が激しく、診療所がある大阪は地震や台風に振り回され、酷暑の夏には何人もの長年の患者さんたちを奪っていきました。あの人も、またあの人も、多くの人を見送りました。ボクの医者としての人生の大きな区切りの年だったのでしょう。そんな年に敢えて引っ越しを断行して、妻の体調を考えていないと非難されるかな、でも専門医として大丈夫との確信があったのです。そんな年だからこそ、あえて引っ越しました。ボクの患者さんもボクらも制約が多いけれど、精神だけは自由に行き来できることを再確認するために、でしょうか。
うまくいくかどうか、見守っていただければ嬉しいです。
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