仲間として(1)2018年7月・西日本豪雨
毎年、夏が近づいてくると寒がりのボクは「これで寒い思いをしなくて良い」と気持ちが晴れてきます。でも、夏の初めにほぼ毎年出合う各地の水害の事を考えると、複雑な気持ちも。
かつて昭和57年の長崎の大災害をはじめ、4年前の広島の水害、数えきれないほどの天災がこの国に襲いかかってくることを知っているからです。
2018年7月8日は認知症ケア専門士試験の日でした。全国の会場で試験が行われ、6000人ほどの人が受験し、ボクは京都会場(関西、四国、中国地方)の担当をしていました。しかし、まさにその前日に襲いかかった大雨で川が氾濫し、受験できなかった人も多数おられました。何か月もかけて受験勉強をしたのに、前日の豪雨のために受験会場まで来られなかった人も多かったと思います。
全国の会場で一斉に受験がおこなわれ、多くの人が受験する試験では、予定を変更して別の日にやり直すことができませんでした。しかし被害が明らかになるにつれて、この災害がいかに大きなものであったか、わかってきて、ボクは愕然としています。
かつて大学教員として何年間かゼミの学生を指導したことがありました。ある時期に担当した学生が介護職になり、数年ぶりに今年の認知症ケア専門士を受験するというメールが来ました。
(薄情な教師で)そのメールの相手が最初は誰なのか名前と顔が一致しませんでしたが、そんなボクにも嬉しい報告でした。かつて大学教員として育てた人が、介護職として経験を積み、認知症ケア専門士を受験してくれるのですから、教育の方向性は間違っていなかったと思える展開でした。
しかし、今回の大雨で彼は受験会場に来ることができませんでした。試験直前に届いたメールで「今、施設にいる人たちを安全なところに避難させてあげたいから受験できません。僕は目の前で支援を必要としている人を置いて、受験に行けません。」と告げてきました。
彼は大学を卒業した後に経験を積み、本物の介護職になりました。
あなたの決意をこころから支持したい。人のために生きることを選んだあなたが、今回のような事態に直面して、これまで何か月も努力して受験に備えてきたことを投げ出してまで、担当する人の介護に徹した事実をボクは誇りに思います。
被害の大きさは日がたつごとに大きくなってきて、西日本豪雨は平成になって最悪の事態になってしまいました。
東日本大震災の後に出版された「3.11 世界中が祈り始めた日 Pray for Japan」という本があります。大震災と津波に襲われた日本に韓国の友人から届いたメールを紹介しているページがあります。
「世界唯一の核被爆国。大戦にも負けた。毎年台風が来る。地震も津波も来る。…小さい島国だけど、それでも立ち上がって来たのが日本何じゃないの。がんばれ、超、頑張れ」
7年前にもらった、この暖かな言葉に涙しながら今回の大水害に立ち向かう元ゼミの学生と、こころを一つにしたいと思います。今回のような天候変化があたりまえになる新たな段階に入ったと考える人もいます。そうだとしても絶望的な状況に自暴自棄になるのではなく、より、他者との連携を考えることが必要になるのではないでしょうか。