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ものわすれブログ

出合うはずだった人びと(9)大阪は震度6


 今朝、いつものように診療所の2階で書類を書き終えて、「そろそろ8時前だな、いつものように升山さん(うちの社会福祉士)が来る頃かな~」と思っていた時に、地鳴りがして地震にあってしましました(会いたくなかったな~)。

 阪神淡路大震災の時には京都の自宅で、東日本大震災の時には大阪府医師会館で認知症サポート医として研修を受けてるときに遭遇しましたが、今回の地震は「桁外れ」の衝撃で、直後に慌てて妻と娘がいる上階に行きました。

 ボクの書斎兼研究室は診療所の5階にあって、そこはかなり揺れましたので、阪神淡路の時とは比べ物にならないほど、本や論文が散らばってしまいました。

 この地域は大阪府の北東部より揺れが小さくて、患者さんも来院できました。しかし都心部の超高層マンションに住んでおられる患者さんが気になっていましたが、ご無事でしたので、診察日を変更できて胸をなでおろしました。

 愕然としたのは夕刻からでした。いつも妻の夕食の惣菜を買いに行っているデパートは全て休業、それもそのはず、私鉄もJRも運休しているのですから。でも、夕方のテレビニュースで見たのは、いつも買い物に行く大阪駅や新大阪駅から、自宅に帰ろうとしても電車が動いていないために、長い道を歩いて帰る多くの人々の姿でした。

 電車もタクシーもなく長い距離を歩いてでも自宅に帰ろうとする多くの人々は、ボクがいつも目にする場所で、昨日も今日もであったかもしれない人々です。その人たちが家に帰れないなら、ボクらは医者としてその人たちが体調を崩さないように見守り、そして必要な時には支援するはずです。それが今のボクにはできませんでした。

 妻を残して夜に北摂(大阪の北側)まで行くことができなかったからです。阪神淡路の時には1月19日にリュックを担いで、できるだけ多くの向精神薬を入れてJRの線路を歩いていました。

3月11日の後は仙台までの日本航空便が再開した日に、升山さんと共に出かけて行ったのに、そんな当たり前のことが、今の自分にはできない。

 それでも自分には分かっています。つらく長い道を歩くそれらの人々が、決して諦めてはいないことを。あきらめないのは彼らの先に見えている希望です。ボクらはみんなつらくて苦しい毎日を送るのかもしれません。でも、ボクはそのような状況にあってもなお、人生を諦めない人々によって支えられてきました。

 うちの診療所のエレベータが地震で不具合になり、保守会社から来てくれた人は、「神戸支社から来ました」と言ってくれました。ボクができるだけのことをしようとした震災の神戸から、今度はこうして若い社員さんが診療所のエレベータのために来てくれていること。

 その関係性の中にボクは限りない希望を感じることができます。

 帰宅ができずに今も歩き続けている人たち、あなたの体調が守られますように。動くことができないボクは、それでも友のために神に祈りたい。祈りたい、あなたの明日が希望に満ちるように。


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