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ものわすれブログ

出合う人々(5)静かに闘うひと


 歯科医になった35年ほど前、自分の「能力のなさ」を呪った(笑)ことがありました。「歯が痛い」ってやってくる患者さんに対して、ボクの治療であっという間に痛みを止めて「先生、凄い腕ですね」って言われることを夢見たのですが、現実は全く異なるものでした。「ど、どこが痛いんですか、い、痛かったら教えてくださいね。」と言いつつ、おっかなびっくり「痛くしたらどうしよう」と心配ばかりして、患者さんの口の中を血だらけにしながら、冷や汗と戦う日々が続きました。(また診療所の紹介ブログの中で、こんなこと書いてしまった!)

 歯を削ることに留まらず、もっと大きな手術、例えば口腔(口の中)にできたがんを見事に手術する口腔外科医なら、かっこいいな~と思っていましたが、ボクには全く縁がない世界で、人の口の中を手術することなどもってのほかの歯科医になりました。

 時代は変わり、そんなボクが補欠の補欠の補欠で医者になって、今は認知症を診る精神科医になりました。今では科学的な精神医学があたりまえになりましたが、ボクが医局に入ったころには、せっかく母校の関西医大が科学的な「生物学的精神医学」の教室だったのに、教授のお誘いを断り(先生、ごめんなさい)、細々とカウンセリング(精神療法・心理療法)の道に進み、その人と寄り添うような精神科医を目指しました。もちろん、生物学的精神医学を専攻した先生でも、患者さんに寄りそう力を持った医師はたくさんいますが、ボクは敢えて狭い道に進んでしまいました。

 認知症やメンタル領域の疾患は、手術で嘘のようによくなる医療を提供することはできません。ゆっくりと、それでもしっかりと病気と向き合い、「静かに闘うひと」と共に歩く人生を送っています。

 華やかではないけれど、日々を送る人が病気と向き合っていて、その人とともにその病気は何か、どうすれば良いのか、どういった可能性があるのか、さまざまな情報を共有することで、その人は単なる「患者さん」ではなくなります。自分の病気を知って人生そのものまであきらめかけていた人が、正しく病気を知ることで光を見出すことは珍しくありません。

 たとえば、病気を自分の人生と重ねすぎて冷静さを失った時、病気を自分の中から一度外に置いてみることが必要な時があります。それを「病気の外在化」と呼びますが、あえて自分と病気を離してみると、次につながる自分の選択肢を見つける手掛かりになります。

 病気と闘うとしても、正面から件を振り上げて戦い、そのことばかりにとらわれてしまうと、かえって免疫力が低下することも少なくありません。外在化によって肩の力が抜け、その恐ろしい怪物にさえ、その人が主体性を持って「ボクはこう向き合いたい」と言えるようになるために、ボクは医師としての情報を駆使して、その人といっしょに考えます。

 ボクがず~っと続けている「家族療法」という分野の中で、特に「心理教育アプローチ」と呼ばれる領域があります。心理・教育といっても、何もわからない患者さんを教育するのではなりません。適切な情報によって、その人が本来持っている力が発揮できるように、静かに粛々と事実を伝え、希望の共有を目指します。

 そんなわけで、医者としての自分は「静かな闘いの場」に身を置くことになりました。

 でもな~、一度でいいからかっこいい手術で患者さんを治すすことができる医者にもなってみたかったな~。


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