ボクのこだわり(8)48年前の父の時計と万博
48年前、父がボクをスイスに連れて行ってくれた時に買った時計(遺品です)をつけています。古い時計なので何度もメンテナンスをくり返し、時計屋さんに持っていっても「きれいに使っていますね、48年前のものとは思えない~」と言ってもらえます。
旅行中に父が突然、「スイスに来たんだから時計を買って帰る。これまで20年ほど開業医として頑張って来たから、その記念のつもりで!」と言い出しました。
ボクはその時14歳、親への反発もあったのでしょう、それに高価な時計を買うことへの抵抗もあったためか、つい「そんなもの買わなくても…」と言ってしまいましたが、父を見送った今、ボクはその時計を愛用しています。
先日、大阪での万国博覧会の象徴であった「太陽の塔」が、内部の修復を終えて一般に公開されるニュースを目にしました。大阪生まれのボクにとって「太陽の塔」は子ども時代に初めて世界を感じさせてくれた万博の大切な思い出です。確か16~17回、会場に言った記憶があります。時には友人たちとわいわいやりながら、時には夕刻から夜にかけて一人で行きました。
あ、万博があったのが1970年、時計を父が買ったのも1970年。当時の記録ビデオなどを見ると、今とはたいへん異なる街並みや人々の姿が映っています。
「今、腕に付けている時計はそんなに古い感じがしないのに、人々の姿は変わったのだろうなぁ」と思いました。
そういえば当時、母の患者さんが肺がんになって、家族から「絶対、本人には内緒にしてください」と言われ、母はその人を在宅で見送るまで病名を口にしなかったことを思い出しました。
現在とは医療水準も異なり、社会の考え方も大きく異なったのだと思います。
ボクはあと33年ほど現役を続けながら父の時計を使い続けるつもりですが(あはは、命があれば、そして力が残っていれば、94歳のボクが松本診療所100周年を迎えます)、その夢がかなわなくても娘か息子か、息子の娘が引き継いでくれて、時計には100年を迎えさせてやりたいな~。
そんなことを考えていると、がんに対する社会の認識が変わったように、ジェンダーによる差別、LGBTに対して理解や共感が(少しずつですが)広がってきたように、認知症のマイナスイメージもこれから変わっていくことだと思います。
認知症を長く診ていると、この病気も25年前には「善意ゆえに目をそらしてしまう病気」だったと思います。「かわいそう、気の毒に、なぜこの人だけに」と憐憫を持つほど、「どこか誰かのこと」だと思われていたからでしょう。
でも、今では「誰もが可能性を持つ」病気だと知られるようになりました。さらにこの先は、もっと社会全体が、認知症は「なったらおしまい」ではなく、むしろ「なってからが勝負」の病気だとわかる時代が来ると思います。社会の認識は一気には変わりにくいけれど、何かのきっかけがあれば思ったより動きが早い場合がありますから。
今年の11月に開催場所が決まる万博を、大阪は2025年の開催を目指して誘致しています。大阪に決定したら世界中の人が「認知症になっても大丈夫」だと実感できるパビリオンを作りたいですね~。それが認知症のイメージを大きく変えるきっかけになれば嬉しいな。