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ものわすれブログ

ボクのこだわり(5)病気主義かこころ主義か


 先日、本当に久しぶりに認知症の講演会を聞きに行きました。ほとんど学会以外は自分が話をする側で、人の講演を聞くのは少なくなっていたから、とても新鮮でした。

 公益社団法人「認知症の人と家族の会」の前代表、高見国生さん、同会副代表で医師の杉山先生、社会福祉の立場から原谷こぶしの里の服部さんなどが参加して、NHKハートフォーラムを開催され、ボクは全く出番はなかったのですが(笑)、呼んでいただいて楽屋に行かせていただきました。

 その日は日曜往診日と重なっていて、(これまで診療所を受診していた人が来られなくなった場合や、施設に入居したあとも認知症だけはボクが対応することを、ご家族の希望があった場合に続けている往診で)、表向きには「当院は往診不可です」と掲げていても、現在52人の患者さんの元に行っています。

 多くの人は入所に至るまで、たくさんの症状が出てケアをしている家族が大変な思いをします。ものを忘れるだけではなく、日々の食事や介護で、最もその人に近いところで献身的に介護してくれる介護家族に対して、疑いの気持ちが向きやすいこと、攻撃的になってしまうことなどがあります。

 2000年頃だったでしょうか、ボクはそれまでの認知症のイメージが、何か「悪運でもとりついた不幸な人」といった間違ったイメージを変えるため、認知症も病気であることを強調して説明していました。認知症は恥ずかしいことなどではなく、介護家族が困惑する行動も結局は病気から出る症状であることを強調していました。

 「誰でもなる病気である。脳は変化が起きたところの症状が出るだけで、家族に対して本人には悪意などない…」必死に講演会で訴え続けた記憶があります。

 それはひとえに認知症を「家の恥」などと言ってくる無理解な人に傷つけられないように、そして本人の名誉を守るために、「その人が悪いんじゃない、その人の病気の影響なのだ」と言ってあげたかったからでした。

 最近ではその当時とは変わって、「妄想、それ症状、病状、本人は全然わかっていない」などと世間で言われることに反発を感じることが多くなりました。「病気なんだからわかるはずがない」と認知症の人を切り捨てるような意見には、「そんなことはない、認知症の人にはむしろ病前より研ぎ澄まされた、その人の感覚がある」と言っています。

 介護する人が「こころを尽くせばわかってくれるはず」と思っても、病気の症状であるために混乱が収まらない時には、こころの面を大切にし過ぎず対応することが大切です。

 一方、なんでも「症状、病気」と言ってしまうときには、「いやいやこの人にはこころで感じていることろがたくさんある」と、常にバランスを取ってその人を見守ることが大切です。

こころだけ主義は禁物、病気だけ主義も禁物、両者をバランスよく見極めて、「その人や家族」を見守ることができれば認知症の正しい理解につながります。


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