(番外編)12月31日から32日に向かって
妻が寝ました。睡眠リズムがうまくいかなくて、毎朝、午前4時に起きて午後10時には寝ますので、ボクの今日のケア(と、言ってもたいしたことしていませんが)は終わりました。今、自室で紅白歌合戦を見ながらブログを書いています。この後、妻は「年の初めはさだまさし」を見ることができませんが、ボクは絶対はずせません!シンガポールの国際会議の時にも現地のNHK国際放送で「生さだ」見ました。18歳のころからボクはグレープ・さださんの大ファンですから、ね。
12月31日、1年でもっとも最後の日ですが、これまでに担当してきた精神科の患者さんや認知症の人びとの中には、「もう1年が終わるのに何もできなかった」と自分を嘆く人も多く、年末はそういう人の場合には心理変化に気をつけなければなりません。
認知症を専門に診るようになってから、いつの間にか介護職のストレスコントロールも専門にするようになりました。自然な気持ちで「認知症の人や家族をサポートするためには、何よりも介護職、支援職をサポートしなければならない」と、こころの中からそういった気持ちが沸き上がって来たのを今でも覚えています。ちょうど「日本認知症ケア学会」という新しい学会ができることを新聞の小さな記事で知った直後のことで、その次の年、平成12年(2000年)から介護保険が始まったころの話です。
ホームヘルパー、介護福祉士、ケアマネジャーと当時のボクには耳新しい、いくつもの介護に関する仕事が増え、今のような「多職種連携」が、まだ一般には理解されていない時代の事なので、ボクも最初は混乱しました。医者として指示を出すことは訓練されましたが、介護職と連携しながら意見を聞き、より良い医療ができるようにすることが大切なことだと気づきました。
その後、ずいぶん多くのことで助けられました。医者としてのボクが迷っているときに、「先生、この人の生活を見ていたら私はケアマネジャーとして(ケアの面から考えると)、こう思うわ!」と言われて、迷っていた自分の背中を押してもらったこともたくさんありました。
そんなボクでも介護職のためになることができないか、と考えた結果、精神科医として介護職が悩んだ時に、そのつらさを分け取り、こころが軽くなるようなカウンセリングを始めました。今は残念ながら認知症の人の診療で精いっぱいなので、介護職のカウンセリングはできなくなりましたが、ある介護職の言葉を今でも思い出すことがあります。その人は介護職として12月31日が終わって元旦を迎えようとしていても、介護を受けている人の安定のためには「何も変わらないその日」を担当しているようにケアしていると教えてくれました。
介護職のみなさん、いま、当直をして年末にもかかわらず、その日を精いっぱい生きた認知症の人が、その次の日にも一生懸命生きるための「手伝い」をしていて、このブログを読んでくれている人がいれば、あなたのそのケアこそが認知症の人の安定につながっていることを実感してくださいね。特別なことがなく、粛々と日々を送ることが、その人にとって大切な人々がいます。認知症のひとも、妻のように体調を崩した人の介護の場合でも。12月31日から32日になるこの時は、普段と同じように1日を終えようと思います。
介護家族のみなさん、介護職のみなさん、来年もよろしく、ね。