(番外編)2017年のクリスマス
カトリックの家で育ちましたので、昔からクリスマスイブとクリスマスの日は町の中で友人とディナーパーティーなどに行くことはありませんでした。
教会のミサとその前の信者のささやかなパーティ―で「うどん屋」をやって来た思い出がいっぱいです。「また、訳の分からんコラボやな」とお思いのみなさん、クリスマスの夜はボクが所属している協会では、かつて午後7時と10時、そして深夜12時のミサがあり、午後7時には仕事帰りの信者さんがミサを受けに来て、その後、集会室でボクらが作る「うどん」か「そば」を食べて帰るのが習慣になっていました。
教会にはいろいろな部門がわかれていて、ボクらはその中の「青年会」に属していて、地域の一般の人びとも巻き込んだバザーを開催したり(4月の復活祭の行事でした)、このクリスマスうどん屋などをおこなっていました。
今と違って若い人たちも多く、宗教を布教するとかそんなことはどうでもよく(神父さん、ごめんね)、その時に教会というキーワードを中心に集まった人たちがともに分かち合うことに大きな意味がありました。
朝からだしを取ってうどんやそばは300人分ほど準備しました。信者さんが多かった時代です。仲間のみんながミサが終わった寒い夜にお腹を空かせています。仕込みに丸一日かけて準備し、深夜のミサが終わって片付ければ朝まで、クリスマスはまさに学生時代から「何かをする」楽しさを習う機会だったと思います。そのようなボランテイア活動が若かったボクらにとっての連帯感を作ったのでしょうね。
連帯感って、ひとりではないんだと思える関係性ですよね。クリスマスイブをひとりで過ごす人のことを「クリぼっち」というんだそうですね。何とも自虐的なネタなのか、若者受けする言葉の使い方なのか…、
ボクもうちの診療所に来る患者さんたちも、その介護者の人も、多くの人が一人で過ごしています。中には介護者の自分が息子や娘の邪魔をしてはいけないと、あえて一人で介護しながら過ごす人もいるでしょう。
介護職も職場でいつもと同じように勤務しているかも。そういえば多くのひとにとっては「初詣」や「お正月」だって同じことですね。介護のためにどこにも行けず初詣すらいけないと嘆いている人、あなたは一人ぼっちではありません。介護職であるため家族と団欒を過ごせずにいる人も、あなたは一人ぼっちではありません。
今ではもう、(妻の介護のために)クリスマスイブのミサに行くことはできなくなりましたが、ボクのこころはこの日を迎えると、いつも同じ気持ちになります。この文章を読んでくれている一人ぼっちの介護者のみなさん、われわれは一人でいるようでひとりではありません。
それぞれの事情や介護体制のために孤立しているようにみえても、私たちのこころはつながっています。しかも多くの人がその体験を共有しているとすれば、みんなはクリスマスひとり介護者体験を通して、目には見えないかもしれませんが、実は多くの人とつながっています。
メリークリスマス。
決してキリスト教の価値観を持つ仲間だけに向けて言うのではありません。宗教や考え方の違いを乗り越えて「あなたに幸せが来るように」と年に一度、ボクはメッセージを込めます。介護する人として、介護される人として、認知症をケアする人として、認知症の人として、すべての人に対して、「私たちはあなたのことを思っているよ」、と。