ゆれる気持ち(10)主治医のボクは揺れず
- 松本一生
- 2017年12月4日
- 読了時間: 3分
一昨日、新しいブログをUPした直後に、親しい友人から相談を受けました。もう25年にわたってその人のお母さん(Aさん)を担当させていただいているからです。当時、70歳を超えていたその人は90歳をとうに過ぎ、未熟な医者としてオロオロしながらその人を担当していたボクは還暦を超えました。
初診の時には「うつ」であると自ら訴え、その後も気分の沈みや「やる気のなさ」を支え続けましたが、ある時から認知症が激しくなり、それでも頑張ってうちの診療所まで来院してくれる人でした。
「家の都合で思うように学校には行けなかったから」と、いつも文章の勉強会に参加し自費出版で歌集まで作ったその人は、静かにしかししっかりとこの四半世紀を過ごしてきました。日本が敗戦して最も大変な時代を経験し、その後、激動の昭和を支えてきた人たちは、ボクのような昭和30年世代が人生を過ごすとき、最も恵まれた環境の土台を作ってくれた人びとでもあります。
でも、今年の気候変化は激しかったから、その世代の多くの人を今年は見送りました。同級生のお父さんも見送りました。母が内科医として60年間開業していたときにいつも通ってくれた人が、その後認知症になってボクが担当することになり、今年の夏には亡くなっていきました。
Aさんはある病院の施設に入所して医学的にもしっかり診てもらっています。その点は心配ないでしょう。しかし初めての大きな入院で、とても不安になっていることだけは確かです。頻回のトイレへの訴えがあり、担当医の先生も「精神的なものでしょう」と言われています。
ボクは内科医ではないため、これまでも「主治医」、「かかりつけ医」ではないことを主張してきました。ものわすれの専門医として内科や外科、整形外科など、「かかりつけ医」の役割を担ってくれる先生と連携して、在宅における認知症の人を支えていくこと、これがボクに与えられた役割です。
でも、今回のAさんのように四半世紀を共に生きてきた人の場合にはどうでしょうか。Aさんの身体面での主治医は、確かこれまでに3~4人の先生が変わってきたはずです。その時々に最も悪いと彼女が考える部分を専門とする先生を、彼女が自らの意思で「主治医」と決めて通院してきました。
そんな彼女が「これから先を決める」時に、さまざまな症状の悩みやこの先への思いと向き合っているとき、ボクは治療をする主治医ではなく、彼女が長い年月を生き、こうして岐路に立った今、ボクには彼女の伴走者としてこころの相談を受ける役割があります。
今日は少し早めに外来診療を終えてAさんが利用している施設に行ってきます。訪問診療でも往診でもありません。彼女の伴走者であるボクが彼女自らが主体となって、今後、どのようにしたいかを決めるための面会です。彼女に対してボクが揺るがぬ立場を全うするとすれば、その日は今日なのです。
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