ゆれる気持ち(9)人生のゆらぎ
これまでに何度か周囲の人びとが「す~っといなくなる」体験をしました。最初は18歳で大阪歯科大学に入った後、その年の夏休みすべてを使ってアメリカ・カナダに行ったとき、そこで溶連菌感染症から腎臓を悪くしたことがありました。後期の授業が始まっても体がけだるくて学業が続けられず、とうとう休学することになりました。
その時のことです。これまで周りにいた「友だち」と思われていた人が目の前から消えてしまい、ボクは「何が起きたのかわからず」途方に暮れました。後になってわかったのですが、当時、入院せず自宅療養していたボクに「あいつ、大学を怠けて遊びまくっているらしいぞ」といううわさが立ったためでした。「みんな、そんなやつとは付き合わないよな」と半ばあきらめていた時に、何人かの友人が家に来てくれて「おれたちは噂に惑わされないからな」とボクを支え続けてくれました。あの時、見舞いにもらったLPレコードを聞くたびに彼らのやさしさを思い出します。
二つ目は歯科医師になり、その後、医師の勉強を続けて医師国家試験を受けた時のこと、ボクは(自分で言うのも何ですが)医学部時代には成績が悪くなかったにもかかわらず、国家試験に落ちてしまいました。「これでもう、人生終わった」と嘆いていた時に、何と母校の教授会がボクを呼んでくれました。教授会で叱責される覚悟で臨んだボクに、「君がこのような結果になったにはわれわれの教育にも問題があった。何なりと苦言を言ってほしい」と、信じられない対応をしてくださった先生方のおかげで、今のボクはあります。「最もつらい時にも見捨てずにいてくれる人々がいるなら、自分もつらい時にこそ、誰かのために何かできないかを問い続ける人生にしよう」と誓ったことを鮮やかに思い出します。
三つ目は20年前、当時は珍しかった老人デイケアをもっと軽症の人々にも利用してもらえるように、現在の『認知症カフェ』のようなものを作ろうとしたときに、一部の医療機関から誤解を受けたことがありました。「また何を突拍子もないことを始めるのか」、いぶかしがる人もいたからでしょう。しかし、そんな時にも以前と変わらずに患者さんの紹介をしてくれて診療所、病院がありました。今でもその先生方と連携して日々の臨床が続けられています。
そして今回、妻の介護でこれまでに引き受けていたいくつもの役割から引きかざるを得なくなりました。「頑張れ、これからも応援する」という言葉だけで身を引いた相手もいれば、このような制約の元でも仲間として何かの機会に呼んでくれる人々がいます。
人生はくりかえしの連続です。また、ボクを見捨てずにいてくれてありがとう。認知症関係の学会の先生、歯科、介護職のみなさん、大学関係の人びと、あなたたちから受けた暖かな気持ちを感じることで、ボクは今回もまた、「支えられたボクが今度は誰かを支えたい」と思うことができます。
介護者や介護職のみなさんの人生にも何度か、ボクのように周りから取り残されたように感じるときがあったかもしれません。そんな時に「それでも」あなたを見捨てることなく見守ってくれた人がいたはず。
人生にゆらぐボクらの役目は、その時の感謝を誰かに伝達すること。これこそ人生のリレーの目的です。 さあ、これからも(ゆっくりですが)走りながら伝えつづけるぞ。