診療にて(3)介護を生き抜く人と生きる
新しい年度が始まった今月(2017年4月)26日から29日まで国立京都国際会館(左京区宝ヶ池)で国際アルツハイマー病協会(ADI)の京都会議が開催されます。2004年にも日本で初めての会議が開かれ、4000人もの参加者が集いました。当時、ボクは認知症の人と家族の会の理事になる直前でシンポジウムを担当させてもらい、多くの介護者と出会いました。
「いよいよ国際会議だな」と思いながら、ふと、ある男性介護者との出会いがよみがえってきました。アルツハイマー型認知症の妻の介護者であるその人は、国際会議に一人で参加していました。「妻はデイサービスに見てもらい、参加することができました」と彼が言っていたのを思い出します。その時には何の気なしに聞きましたが、後になって彼が妻をデイサービスにゆだねるのに大きな決意が必要だったと知りました。
「あ、それは○○さん良かったですね。あなたが自分の人生を生きて、奥さんのケアもプロに任せて十分に国際会議の場で交流を深めてくださいね」と言ったことを思い出し、無責任な思い付き発言だったと思います。
公益社団法人「認知症の人と家族の会」は日本を代表する団体として、この国で唯一、日本アルツハイマー病協会として国際的に認められた組織です。ボクはこの会議の後、常任理事となって深くかかわることになるのですが、あの時の発言を思い出すと、自分の言葉の「深みのなさ」を猛省しています。
介護保険が施行されて17年たちました。介護の社会化が叫ばれ、介護家族だけが介護負担を担わなくてもよいように保険は作られました。しかし介護支援には時期があり、誰かの力を借りるにはちょっとしたタイミングや導入のチャンスがあります。言い換えれば、どれほど周囲が支援・伴走したいと望んでも、そこで支援ができない場合もあります。
男性介護者が夫として、息子として介護している場合には、よりタイミングが大切であると、ボクは自分の妻を介護して、自分の気持ちを見つめなおして初めて悟りました。
後に知ったのですが、その国際会議に参加した男性は妻の介護を何年も自分一人で担い、やっとのことでデイサービスを使うことになったそうです。理由は彼が何もわかっていない介護者だったからでしょうか、いえ、そうではありません。彼は当初から介護家族が一人で介護に没頭して巻き込まれ、結果的には介護に追いつめられてしまわないように気を付けていました。
しかし彼の妻はその時62歳、若年性アルツハイマー型認知症の始まりの段階にいました。当然のように「私は年寄りが集まっているところに行くのは嫌!」と拒み、「あなたが私を支えてよ、夫婦でしょ!」と迫りました。病気のために相手に対する慮り(おもんばかり:相手の立場を気遣うこと)ができなくなっての発言でしたが、その言葉は彼を追い詰めました。
結局、彼は会社を辞めて妻の介護に明け暮れることになりました。彼はその時、「介護者を生きる」と決意したのでしょう。だからこそ会議に参加するときにチャンスが巡ってきました。「たとえ妻が嫌がっても」と決断した結果、デイサービスを利用することができました。
今のボクの立場と同じです。ボクは自分が書いた本では一人で介護に追いつめられないように社会資源を使い、同じ立場の介護者同士が支え合うことの大切さを説いています。その自分がほぼ一人介護者を演じて毎日の惣菜を買いに診察の後には出かけているとは。
ボクには支援を申し出てくれる介護職の友人もたくさんいます。娘や息子も協力してくれます。それなのにタイミングが合わず介護の日々を送っています。でもね、いつか時が来れば事態は変わります。2004年の会議で出会った彼は、やっとの思いでデイサービスを活用し、奥さんもその後、いくつものサービスを使えるようになりました。
一人で介護している男性介護者のみなさん、あなたはひとりぼっちではありません。あの時の彼のように国際会議で出会い、それをきっかけにして介護を取り巻く状況が変わることもあります。あなたは「介護を生き抜く人」ですか? それならボク。ボクは「介護を生き抜く人」であると同時に、「介護を生き抜く人と生きる」ことを専門にしている精神科医なのですから。われわれは同じ立場で支え合うことができるはず。
泣きながらわめきながら日々の介護をしているお父さん、あなたは一人ではありません。そして自らが光を放つ者は自分の光をみることはありません。でも、その光に励まされている人がたくさんいることを会議で出会う人々から感じてくださいね。