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ものわすれブログ

特別メッセージ 行けたぞ、苫小牧


 昨年12月に大雪の中を札幌(新千歳空港)の上空まで行ったにもかかわらず、滑走路の積雪が50センチになっていて着陸できずキャンセルになった講演を無事に終えました。朝1番の札幌行きで、帰りは妻の夕食前に惣菜の買い出しができるまで、日帰りです。とても熱心に聞いてくださる支援職のみなさんの姿、笑顔を見て「再度チャレンジしての講演に大きな意味があった」と感じました。

 会場に向かう際、ちょうど1週間前(2017年3月12日)に75歳以上の運転免許保有者の認知症対策を強化する改正道路交通法が施行されたことを思い出しました。広い北の大地で自動車の運転ができなくなると、その人の生活はどうなってしまうのでしょう。

 ボクはかつて書いたように自動車の運転免許を取ったことがありません。自転車にも乗れませんので、長年、受診してくれた人が寝付いた時に限り行っている「往診」も、全て地下鉄か市バス、京阪電車、JR、日本タクシーさんのお世話になり、25年間やってきました。ここまで書くと気づかれると思いますが、診療所の周りにはそれほどたくさんの公共交通機関網が張り巡らされているということです。

 自分が運転免許を取ったことがないのに、目の前の人が認知症か否か、運転ができるか否か、診断するのがつらくて、「できれば他の所で診断受けてね」と逃げの姿勢ですが、やはりうちも地域の社会資源として、「もう、そろそろ免許証を返納したい」と思っている人の診断をすること、そしてその後、こころに寄り添う努力をすることは、自分の役割でしょう。

 10年以上前の話ですが、75歳を少し過ぎたある会社の社長さんが奥様と受診してこられました。「先生、オレは運転は40年ほどしてきて自信があるんや。それを妻や娘が危ないからと言ってここに連れてきた。おかしいのはうちの家族のほうや。ちゃんと調べて家族に言ったってや」、と彼は言いました。

 初診の時点で誰にも「もし、病気だったら告知を希望しますか」と問うようにしています。彼にもそう聞きました。「当たり前やんか、病気やったら聞かせて。オレは元気やからな」

 告知した後の彼の落胆ぶりは今でも忘れることができません。あろうことかボクにはその落胆を、彼の絶望をサポートすることができませんでした。彼が(彼を絶望の淵に追いやった)ボクと会うのを拒んだからです。彼は大阪の自宅から20km ほど離れた会社に毎日、自家用車で通っていました。ほかに通勤手段はありませんでした。認知症の診断を受けて運転をやめたことで、彼は移動手段を奪われ、それ以上に大切な「生きる意味」まで・・・・。それから数か月後、妻が彼の入所先を求めて相談に来ました。認知症は一気に進んでしまいました。

 新千歳空港から苫小牧に向かう道にも家々が見えました。もっと人がまばらに住む地域に講演に行ったこともあります。山中に高齢夫婦だけが生活し、買い物は82歳の夫が1時間以上かけて山のふもとにあるスーパーに行かなければならない地域にも…。東京や名古屋、大阪だけじゃないぞ、国にはいろいろなところがあって、みんな慣れ親しんだところに住みたいんだぞ。

 高齢者の悲惨な事故を減らすべきは、この国に不可欠。これは誰もが願うことです。自家用車の代替案には何があるのでしょうか。免許を返納してもそれに代わる対策をお願いします。ボクが自信をもって、認知症の人に「勇気ある撤退」として免許返納を勧められるように・・・・。


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