日々のこと(3)デパ地下の出会い
毎年クリスマスの時期になると世間ではケーキやパーティーのことが、それが終わると一気に新しい年を迎える準備があわただしく始まります。しかしその分、日常生活をいつも通りに過ごそうとすると、これがまた難しくなってくる時期でもあります。
妻の食事には娘が協力してくれて鍋物1品を作ってくれます。息子も近所に住みながらボクの助手をしてくれていますので、買い出しを頼むことができ、とても助けられています。
しかし妻は自分が30年に及ぶ京都生活でそうしていたように、介護を受けるようになった今でもボクが必ずどこかのデパ地下で惣菜を買ってくることを求めます。「わがまま言うな」とは言いますが、それでも若いころから祇園の小料理屋に娘を連れて食べに行くのが趣味だった父親のもとで育てられたため、自分の食事には何らかのそうした惣菜を求めてきます。
そして僕はこの2年半、ほぼ毎日、大阪(時には自宅を見に帰って京都の)デパ地下巡りをして、惣菜を買って帰ります。「お手伝いさんに頼めば」、「宅配弁当は?」、いろいろ試みましたが妻はどれも拒否、現在に至っています。
その命綱が年末年始となると店の棚に並ぶのは「惣菜」から「おせち」に変わります。ボクが困るように、若い一人暮らしの人や年末年始も普段と変わらぬ生活をする高齢の方のように、売り場の品物の変わりように戸惑うのではないのでしょうか。
患者さんの中にもそのような人々がたくさんおられます。ご兄弟も夫も子どもも見送って、今は一人暮らしのある女性が、86歳になった今も過ごしています。軽度認知障がいのレベルですから一人でも生活ができます。しかし日々の変化があると大きく体調を崩します。側頭部の変化のためか「変化に臨機応変さをもって対応すること」が困難です。そのひとは診療所から最も近いデパートまで歩いて2分の所に住んでいます。スーパーやコンビニよりもそこが近いためにデパ地下を利用します。社会的に活躍して退職金も崩さず節約しながら生活してきたため、無理せず買えるものを選びます。
彼女がいつもボクに教えてくれるのが「デパ地下の店員さんとの会話のありがたさ」です。彼女は日ごろ誰とも話す機会がなく、介護に対してはセルフネグレクトに近い形で拒否しますが、そんな彼女がデパ地下の総菜売り場で店員さんとかわす言葉に支えられていることがよくわかります。「今日は和惣菜売り場の店員さんが私の膝の痛みのことを聞いてくれた」、「今日は買い物が遅かったので、店員さんが心配してくれた」、彼女はいつもデパ地下での会話を伝えてきます。これぞ地域包括ケアのこころです。
新しい年を前に一人で寂しい思いをしているひと、人を支えるために自分ではお正月どころではない支援職、病気のため思うように年末年始を送れない人、介護の日々で年末年始どころではない同志のみなさん、来年も無理せずやりましょうね。