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ものわすれブログ

日々のこと(1)毎日聞く言葉


 今朝も5時半に起きました。いつもそうです。診療所の上階にいるようになって、妻の朝食の準備が終われば、その後は診療室に下りて書類書きが待っているからです。紹介された患者さんの返事を医療機関に書き、介護保険の主治医意見書も毎日2~3枚、医療機関や介護施設への情報提供書も合わせると5~6枚は書く日々です。

 朝の診療が始まると、すぐ耳に飛び込んでくるのは認知症の人の悩みや哀しみです。それをできる限りしっかりと受け止めて、しかも深刻にならず「笑い」も含めた納得として返すことができれば、この中途半端な医者のボクでも何らかのことをしてあげられるかもしれません。

 介護家族の言葉には特に注意しています。とくに次の3つの発言。「私は介護でつらい思いをしたことがない」という発言です。これはそのような発言をした介護者が、自分の時間も大切にして時には休みも取り、しっかりとストレスコントロールをしたうえで、このように発言しているなら、まったく問題はない発言です。介護者としても、時にはショートステイを活用しながら、釣り旅行もできているような場合でしょう。しかし実際にはこううまくいくことは珍しく、「辛くない」と言いながら、一方では体の調子を崩して「体が痛い」、「ふらつく」、「吐き気がする」といった症状に悩まされている場合です。この状況は介護者の過剰適応によって起きてきます。こころがくじけることがない強い介護者でも、体で表現していないか、気を付けることで介護者の破たんを防ぐことができます。

 次にあげるのは「私は○○のために自分の人生をささげる」という介護者の発言です。自分自身を投げうって介護するほどの気持ちには頭が下がる思いですが、その一方でこの発言をした人の30%がその後半年以内に介護に破綻しているという事実がボクの手元にあるカルテに残っています。追いつめられた介護者が善意を持っているほど、自分を二の次にして介護に没頭すると陥りやすい状況でもあると言えます。

そして「私は誰の手も借りずに一人で介護しなければならない」という、孤立した介護者の発言です。介護保険や地域包括ケアによって、決して介護者が孤立することなく、周囲の力も借りながら「肩の荷を下ろしつつ」介護できることが大切だからです。でも、これは言うのは簡単、実行するのが難しい人々がいるのではないでしょうか。

 ボクもみんなに助けてもらって今の妻への介護ができていますが、人にものを頼むことが得意だとは思いません。つい、遠慮してしまって「自分でなんでもやればそれがいちばん手っ取り早い」などと考えがちです。そんな時に孤立した介護を続けると、結局は介護者が自分ですべてを抱え込み、介護に行き詰まってしまいます。

 このような発言に留意して、自分がその悪循環の轍(わだち)に入り込んでいないか、常に注意しましょう。でもね、こうしてこの文章を書いているボク自身がこのような発言や考え方に陥っていないかを問いつづけなければなりません。人のことには目を向けられても自分のことはわからないのが人の常だからです。

 来月から久しぶりに大阪市立大学、千葉大学のお二人の教授との専門書を書きます。共同執筆が集中しますので、ブログのアップは毎月15日、30日にしますね。


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