自分の役割(9)辛い時こそあなたを思う私でありたい
- 松本一生
- 2016年11月10日
- 読了時間: 3分
今日で60歳になりました。若い時には、還暦になった自分はもっと大人でしっかりとした考えのもとに人生を生きているはずだと思っていましたが、何と人の気持ちは変わることなくフラフラとしているのでしょうか。こう思うのはボクだけでしょうか。そう思うのはボクがまだ青春の迷いの中にいるからなのでしょうか。それもいいかもしれません。介護家族になっても若い時と同じこころの中にいます。できれば人生を終えるまでこの気持ちが続けば・・・・・。
たくさんの介護職、福祉職そして医療職の人から、日々発せられるのが「辛くても人の役に立ちたい」という願いの言葉です。多くの人にとって「他者へのかけがえのない存在」として自分が在ることが人生の目的になっているかも。その人が生まれ育った環境も影響するのでしょうね。
ボクもそのような一家に生まれました。(医師として束縛される時間が長かった母を助けるため)母方の祖母に育てられたのですが、そのがまた古風な江戸っ子のような人でした。愛媛生まれである祖母は、人生のある時期に過ごした東京の下町になじみ、いつもボクに「人のためにならなければ人生じゃないんだョ」と豪語する家庭科教師でもありました。
その娘として医師となる道を選んだ母も開業医としての人生を全うし、亡くなる1か月半まで現場に立った人でした。父もまた苦労して歯科医師になり自分のきょうだいをすべて社会に送り出し、亡くなる日まで仕事を続けた人でした。
さあ、困りました、ボクは放蕩息子で親の七光りだけで生活したいのですが、親や祖母がこういった人生を送ると、それに続く自分も人のために人生を送ることが当たり前になります。親の後姿を見て「自分も同じ道を生きたい」と思うことにしました。
多くの介護職や福祉にかかわる人の中にも「人のために」という思いに人生を注いでいる人が多いのではないでしょうか。誰かのためになりたいと思い、この世界に飛び込んできた人は少なくないはずです。
でも、そのような人に限ってバーンアウト(燃え尽き)てしまうことが多く、自分のこころが疲弊してしまわないように自らを守るのも大切です。だからこそ「辛い時こそあなたを思う私でありたい」と願えば願うほど、一方では日々のストレスをコントロールして過剰な義務感に押しつぶされないようにすることが大切です。
介護者もそして支援職の人々も同じような状況にさらされていると言って過言ではありません。日々の介護や仕事に追われて毎日をすり減らしながら、それでも人のために人生をささげようとするからこそ、自分にも目を向けてください。
妻は自分の母親の介護を27年続け、その後にバーンアウトのような形になり現在に至っています。昨日も「また今日が始まって、私はこんな毎日でいいのかな…」といった一言を背中に聞きながら、診療をはじめました。
若いがゆえに既存の介護保険のサービスを拒否し、何かを求めても応えるものがない日々を妻は送っています。介護保険の「空白の時期」を克服するためにも、妻のような第2号被保険者が「自分の役割」を感じる方法を探る毎日が続きます。
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