自分の役割(5)それでも人生にイエスという
- 松本一生
- 2016年9月30日
- 読了時間: 3分
認知症とひとくくりに言われても、いくつもの種類があります。アルツハイマー型にはそれの、血管性にはその特徴があり千差万別です。しかも大きく分けると認知症の自分に気づいている人と、気づかない人がいるのも大切なポイントです。ずっと自覚しない人もいれば、通院が長くなるにつれて自覚が進んでくる人もいますから、自覚(病識)の有無だけで門切り型の対応をすることは避けなければなりません。
今でも思い出すのが大阪の南の地域から通院してくれた80歳、アルツハイマー型認知症の女性です。彼女は「自分がうっかりミスをして不安になること」をどこに行って話しても、「まだ大丈夫」と言われることに悩んでいました。もう15年以上前の話です。本人の気持ちによりそって対応することが一般的ではなく、物忘れの程度を診て大丈夫な範囲なら通院もなし、というのが当たり前の時代でした。彼女はかつて大病院の看護師長だった人で、地元の医療機関の先生はそのことを知っていて「あなたのような人は大丈夫」と言い続けたそうです。
ボクがある講演で「初期の人の中には『寄る辺なさ』に悩む人がいて、その人のこころによりそうのも自分たちの役割です」と言っていたことを聞いてくれていました。それから数年間、彼女は電車を乗り継いで診療所に来ました。気分がすぐれない日もありました。通院が面倒になって「やめようかな」と思う日もあります。それでも彼女は「自分の気持ちを共有してくれるあいつに会いに行こう」と思ってくれました。
「認知症の人はものを忘れて自分のこともわからなくなる」といわれることもあります。でもボクの診療所のカルテには来院した人(故人も含めて)の多くの人々が自らのものわすれに気づき、悩み、その苦悩を受け止めてほしい」と願いながら来院してくれた姿が残っています。「家族には言えない。だって(自分が認知症だなんて)言うと(病弱な)家族が倒れてしまう」と妻のことを思いやり、たった一人で病気と向き合う決意をした若年性認知症の男性もいました。
「先生は精神科医やろ、家族にも秘密にしてや」と何年か通院した人もいます。もちろんその後、必要に応じて家族とも連携が取れましたが。
みんな、自分が認知症になったことを嘆き、生活ができなくなることに悩み、家族の行く末を案じながら、それでも日々を少しでも良い状態で過ごしたいと願いながら通院してこられます。その苦しみに向き合いながら、その人のこころが少しでも安らかになるように、ボクはこれまでの経験や検査結果から、その人の課題と向き合いながら「それでも心配しなくて良いこと」を伝えます。
ユダヤ人精神科医で第2次大戦の時、ナチスにとらわれて強制収容所に行ったビクトール・フランクルという人がいます。その人が「それでも人生にイエスという」 Trotzdem Ja zum Leben Sagenということばを残しています。絶望に満ちた日々を、それでも生きていくことの大切さが込められていて、ケアされる妻にもケアをする側にいるボクにも当てはまる言葉だと思います。病気を恨まず、天から見放されたと自棄にならず歩き続けたいと思います。
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