ものわすれブログ

自分の役割(1)ケアする我らの旅

09/04/2016

 これまで25年近く精神科医として認知症の人と家族を支援するのが自分の役割であり、また生業としての医業だと思ってきました。その過程で自らの家族をも介護者として支えてきたこともあります。

 妻もボクも一人っ子なので「お互いの親は看よう」と結婚する時から決めていました。だから妻の父があっという間に胃がんで亡くなり、その後、気分が沈み体の悪いところに気持ちが集中してしまう妻の母を呼び寄せて27年間(そのうち20年間は自宅で介護)ケアをしました。

 うちの父は69歳であっという間に心筋梗塞で逝き、妻の母の介護が終わりに近づいたころ、それと重なるようにボクの母親に手おくれの大腸がんが見つかりました。母は内科医です。「最期まで現場に立つ」との決意を聞いて、ボクは3年半、闘病に付き合いました。それが終わったのが2011年、東日本大震災の年です。

 

 母の介護が終わった時に、今の自分の姿は考えられませんでした。「これでしばらく自分がやりたいことができる」と思ったのを覚えています。でも、人生はそのような考えとは全く異なる役割を、ボクに求めてきたようです。新たな役割は「妻を介護する夫」としてのものでした。

 人は常に自らがが置かれた立場の自分を生き抜くことが大切であることは、よくわかっていたつもりでした。しかし、これまでとは全く異なる方向に人生が舵を切ろうとするときには、やはり迷いがあるものです。多くの介護家族が同じような気持ちを持ちながら介護の日々を続けているのでしょう。その場面は突然に現れて、有無を言わさずにこれまでの人生を180度変えなければならなくなります。

 多くの人はその変化を受け入れることができずに、悩み、苦しむことになるでしょう。しかし、その変化を受け入れることができる人もいます。その差は何からくるのでしょう。どのような状況にあっても、事態を肯定的にとらえることができる人など、そう多くいるわけではありません。その人々がなぜ事態を受け入れ、対応することができるようになるのか、そのヒントを求める旅が始まりました。言い換えれば「人生にとって逆境と向き合うこと、そしてそれを克服するために何が必要なのか、ここで考えてみたいと思います。

 

 誰か特別な人に与えられた「ギフト」としての対応能力ではなく、誰にもある力と苦悩や努力から得られることとは何なのか考えてみたいと思います。

 病気を解釈するブログではなく、介護家族の悩みにこたえることができる解答を書くのではなく、自分の揺れる姿に読者を引きずり込もうとするようなブログ、お付き合いただけるなら、これに勝る喜びはありません。迷いながら書いているボクとともに、答えを探す旅につきあってくださることに感謝します。さあ、共に巡る旅を始めさせてください。

 

 

 

 

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