ものわすれブログ

祈りと支え、コロナの年の最後に

 医療に身を投じて38年、精神科医となって29年の年が暮れようとしています。今年ほど医療の無力を感じた年はありませんでした。未知のウイルスの驚異的な感染性、しかも若い人に感染した場合に比べると、高齢者に合併症や健康上の課題があると、症状は一気に悪化します。医療を実践してきた身としても、これはまるで自然界から高齢化した私たちに対する挑戦と思えるような展開です。この先の世界を考えたとき、多くの高齢者があふれて若い世代が困窮することを、まるで地球の恒常性(ホメオスタシス)が是正しようとしているかのごとき感染の広がりに、こころを砕いた1年でもありました。


 認知症や精神障害を担当する精神科医としての立場を30年弱続けてきて、ボクの中にはどこか、「病気を治す」という立場から、「完全には治らないとしても、認知症や精神疾患と言う病気と向きあいながら、少しでもその人や家族の状況を改善する」ことが大切だと感じるようになりました。このような疾患を対象として、当事者と家族が人生をよりよく生きることが自分の医療であると思ってきたボクには、どこか「医療はわれわれが切なる気持ちを表明する『祈りである』という思いがあります。いかに科学的なことをしても、人知に及ばないことが多い医療の世界にあって、医療行為は人類から神に対しての切なる祈りなのです。

 でも、ひとの人生が祈りだけではないように、医療だけではなく、その人や家族が過ごした地域の人びとが、普段の生活を続けていくことができるようにする「支え」こそが大切です。その担い手こそ、介護(ケア)の担い手です。祈りの気持ちを実践するための日々の生活の支えがあることで、困難に向かう私たちの人生を続けることができます。


 今晩、東京でのコロナ感染者が1337人だったと発表がありました。1000人を超えるのかな、と思っていたら、あっという間に300人も多くの人に、静かにしかし確実に感染は広がっています。それを食い止めるために、私たちは誰かのために自分の行為を押さえるのではなく、具体的な家族の誰かを守るために行動を押さえなければなりません。その勇気ある決意と行為こそ、祈りに対する支えとなります。祈るだけではダメかもしれません。祈りを持たず支えをしようとしても、それは中身のないものに終わってしまうかもしれません。さあ、今こそ私たちが試されるとき。私たちがこころから祈り、支援ができるようになりますように。

 

 今日、今年最後の往診で施設に入居している患者さんの所に行ってきました。10年以上前から知っている人です。夫の介護者であったその人が認知症になり、入所した今も午後になると大声が出てしまいます。自分なりに何とか治してあげたいと願っていますが、ボクの力では良くしてあげることができません。その思いが祈りとなるなら、生活を支える介護職のみなさんの日々の努力こそ、支えなのです。ボクの祈りと彼らの支えが連携できて、あの人の苦しみが軽くなりますように。

 

 そして今、ここでコロナ感染と闘っている人に、その影響で日々の生活さえ思うようにいかなくなって困り果てている人のために祈り続けます。あしたの光がわたしたちを照らすことを願って。




 



 

 

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