ものわすれブログ

コロナ禍の年を締めくくる試み

 昨日はジョンレノンが撃たれて亡くなってから40年の日でしたね。記念アルバムをさっそく買って(ダウンロードだけではなく、しっかりとCDを買いました)、イマジンを聞き、改めて「今年」を考えてみました。年が明けてしばらくしたころから「コロナ」のことだけで1年が過ぎたと感じているのはボクだけではないと思います。


 大阪のコロナ感染者がおさまりません。たしかにボクも10月~11月の感染増加は予想していたはずなのに、気持ちのどこかで慣れが出て、これほどひっ迫するとは‥‥。その間にかつて担当していた患者さんが数名、新型コロナウイルスに感染しました。定期的に来院している人からは感染者が出ていないため休診にすることなく続けていますが、大阪は多世代での同居が多いせいか、若い人から高齢者に感染して重篤化することが多いようです。

 

 このウイルスが人類に初感染である以上、人の中で接触が増えれば、すさまじい速さで感染していくことは、むしろ当たり前のことです。ワクチンができて昨日からイギリスでも接種が始まったようですが、まだ、経過をみていくしかありません。全国の知人の中にも感染した人や感染を疑われて検査した人が少しずつ増えてきました。そのような恐怖が広がるときだからこそ、今一度、確認しておかなければならないことがあります。

 それは、「新しいウイルスにかかった人たちは、何も後ろめたく感じることはない」ということです。あたりまえのように人生を過ごす人、人のケアを行い自分の役割を全うしようとして感染した人など、立場は異なりますが、誰も等しく、いつ何時、感染するかもしれません。「感染を恐れる」からといって感染した人を特別扱いする理由にはなりません。

 

 かつてAIDSの時もそうでした。一部のLGBTの人の病気と勘違いされ、誤解された時期もありました。 認知症だってそうです。講演会の講師としてボクを呼んでくれたところまでは良かったのですが、尽力してくれた社会福祉協議会の職員のみなさんの認知症への共感とは異なり、講演会のあいさつで「認知症なんかになるなんて不届き者だ。うちの区ではそんな人はいない」と言った地区長がいました。さすがにその時だけはボクも我慢できず、大喧嘩して地区長が退席、そのあと講演にならなくて、ボクが漫談して帰ったことがありました(もう20年も前のことですが…)。

いつの時代にも新しい病気や障がいに対して起きる誤解や偏見と闘っていかなければなりませんね。


 このウイルスはわからないうちに人々に広がり、家庭内でも感染して、高齢者が重篤化して亡くなる…、まるで自然界が高齢者を排除するかのような印象がありますが、若い人が重篤にならなくても大切な誰かにウイルスがうつらないように…。大切なのは次の世界を担う若い世代ですが、その世代の負担が大きくならないためにボクは高齢者をしっかりと支えたいと思っています。この冬は勝負のとき、12月の覚悟をもって「それでも何ができるか」を問いながら日々を過ごしたいと思います。


 さて、今年はコロナ禍を何とか過ごし、来年は診療所70周年の節目です。今の診療所は両親が多くの職員とともに、大勢の患者さんが来院してくださることを前提として40年前に作ったビルです。このコロナ禍でボクはコロナ時代に合わせた小さな診療所を建て、2021年夏に移転することにしました。これまで来てくださっている皆さんとのことを考え、今の診療所から歩いてすぐの所にね。う~ん、まだまだ引退はできませんね~(笑)。






 

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