ものわすれブログ

いよいよ明日から新診療所!

 お盆の大文字の送り火のときにブログを書いて以来、「3か月半も何してたんや」って? もちろん8月に大変なことになったコロナ禍の臨床を全力でおこなってきました。少し感染が落ち着いた今でも毎週~10日に一度はPCR検査をしています。せっかく安心しかけたと思ったら、例のオミクロン株の話題でここ数日は大混乱です。新しい診療所への引っ越しをここ数日かけてやっていますが、そのさなかに「まだ注意が必要なことを忘れるな」とばかりに新しい未知の株がやってきました。


 加えてこの秋、昨年は全く動かなかった講演会の依頼がけっこうたくさんありました。それもコロナ禍のことを考えて「オンライン形式」の講演である場合や、延期を重ねた各学会の基調講演やシンポジウムのご依頼を多々いただき、やっと1年半ぶりにこうした世界に戻りつつある感じがあったのは良いのですが、Zoomなどオンラインでおこなう講演は、収録でもライブでおこなうシンポジウムにしても、やたらと本番の前の打ち合わせや対応が大変で、ライブ講演を思うままに台本なく行うのに慣れたボクには向きません。打ち合わせを何回もやると、前に何を言ったのかわからなくなるようなタイプなので、究極のアドリブ人間なのだと痛感した次第です。


 11月13日、これまで「認知症の人と家族の会」の役員としても、「ひもときネット」の委員として参加させていただいた時も、また、ミード社会館のお招きをいただいて、先生と二人で講演させていただいたこともある、長谷川和夫先生が亡くなりました。個人的にも感謝していますが、日本における認知症の治療者・支援者誰もが認める大きな存在を見送る日が来たのだと思いました。われわれにはまだたくさんの宿題が残っています。先生と同じカトリックの信仰者として、こころからお礼と祈りを捧げたいと思います。


 12月1日、コロナ禍でやや工事が遅れたものの、診療所創立70周年の最後の月になりましたが、診療所を新築移転(これまでの所から400mだけ南に行くだけです)しました。HPの写真で驚かれたと思いますが、これまでの診療所の5分の1くらいの小さなちいさな診療所です。今年でボクも高齢者、先日、年金の支払いの延期をおこない、それでも介護保険(第1号被保険者証)は届きました。気持ちの上では45歳のつもりでも、やはり暦の歳は当たり前ですが、一年一年増えていきます。

 そんな中でボクはこれまでよりも大きな診療所を展開することもなく、遠くに移転するのでもなく、これまで両親が診てきた人や家族をこの先もこの地で診てゆくことに決めました。新しい診療所の近くを歩いても、この30年にボクが往診した家々があります。京都に40年近く住んでいても生まれたここで生涯、認知症の伴走者として生きていくことに決めました。そんな自分に合う小さな診療所を作ったつもりです。


 オミクロン株が出てきて「せっかく下火になったのに、がっかり」と思ったはずです。希望や光が見えてきたときに、また、絶望や困難に出会うことは、一般的にストレスを受けることと比べて何倍も大きな心理的負担になります。一度上がって、また落ちることのくり返し・・・。でもね、ボクはこの30年、自分がそういう気持ちになった時、いつもボクを励ましてくれた認知症当事者や家族がいたことを皆さんにぜひ伝えたいと思います。

 認知症やメンタルな病気は完治することを望めない(少なくとも現時点の医学では)場合があります。良くなったかと思えるような安定期があっても、その後に新たな悪化の時期が来るかもしれません。それでも自らを閉ざさず、明日に向かう希望を捨てない勇気を持ち続けてきた人こそ、この国の認知症と向きあう多くの人なのです。対象は異なりますが、「大丈夫」と思った先に、また変異株が新たな恐怖を運んでくる、このパンデミックの昨今と同じかもしれません。


 そんな時、ボクにはかつて担当させてもらった認知症の男性の言葉がよみがえってきます。「あなたが苦しいとき、そのような恐怖をすでに経験した私は、あなたを決して見捨てません。私がかつて『誰かそういう人がそばにいてほしい」と願ったときに、自分と同じような苦しみを知っている人の言葉が私を救ってくれたからです」

 そう、こうして今、認知症やコロナやその経済的打撃に苦しんでいるあなた、あなたの苦しみと「それでも諦めない勇気」は次にその苦しみを経験する人にとって、何よりも大きな力や光になります。ひとの人生を重ねた経験は、こうして他者を支えていきます。「絶望に打ちひしがれそうになっても、決して絶望しない人が発するひかり」ボクも新しい診療所で自分が続けられる限り、自分がそのような臨床をして、役割を少しずつ、ゆっくり、じっくりと形にしながら生きていく決心をしました。


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