• 松本一生

生きる場所(6)それぞれ「人生の時」の役割


 昨日、出身大学である歯科大学の市民講座を終えて京都に戻ったとき、これまでに無いほどの疲れを感じました。前に書いたと思うのですが、ボクの役割は第1に認知症を診る臨床医、第2の立場は大学での講義や講演会で、少しでも多くの人に情報を提供すること、そして第3の立場が論文や執筆を通して認知症のことやケアについて知ってもらうこと。その2つ目の自分が体力的につらくなってきたわけで、これはちょっとショックです・・・。

これまでに年間100講演ほどしていた時(7~8年前です)には最も得意としていたのがまる一日かけたワークショップでした。午前中に2時間ほど立ったままで講義し、その後、昼食をはさんでグループ討論、その後の各グループの発表、そしてボクの評価とまとめをする4時間から5時間のワークショップでした。そ、それが昨日は2時間ですョ、たった2時間、立って講演をした後に疲れを感じるとは。年齢とともに体力が低下することを考えて、そんな自分の「人生の時」の役割を少しずつ変えていく必要を感じました。

 これまでもボクの役割は挫折の度に変化を遂げてきました。思い出すのはこれまでの人生で何度も味わった挫折です。最初は18歳でカナダに交換学生として滞在した年の秋から腎臓を悪くして休学した時、目の前から一斉に友人と思っていた人たちがいなくなった時に、それでも残ってくれた人の存在がボクの支えになりました。

 次は歯科医師になった後、無謀にも医学部を受け、何とか卒業したのに医師国家試験に落ちた時、「逆境のときこそ人のために生きようとする自分になること」を人生目標にできた両親と祖母のことば、「人生はどんなふうに過ぎていくかじゃなく、どう生きようとするかだ」という教えでした。心筋梗塞で10分でこと切れた父の言葉は聞けなかったけれど、祖母はなくなる前に「いっしょう、あたしはあたしを生き切ったョ」と言い、母は意識が薄れる前に「松本章子として生き抜いた、次はお前の番だ」と言って去りました。こんな言葉の襷(たすき)を渡されたボクは逃げられないじゃないですか。

 妻の介護でこれまでの自分の人生がひっくり返り、落ち込んでいたボクをラジオのコーナーに呼んでくれた大恩人も、国民誰もがその事実に驚き、彼女の凛とした生き方に感動した若き水泳界の勇者も、人生を大きく変える事と向き合い自分がどう生きるかを示してくれます。

 ボクもこれまでの自分のままでいることはできず、今後もさまざまな変化と向き合うでしょう。でも、その時に「自分がどうすれば無事に生きられるか」ではなく「自分としてどう生きるか」と常に自分に問い続けたいと思います。

 介護する仲間の皆さん、介護職を人生にしたみなさん、そして苦悩と向き合っている人たちが、そのこころを休めるために、ボクの臨床が、講演や講義が、そして文章がこれからも役に立てますように。

 今日も「そういうものにわたしはなりたい」と思い続けているボクがいます。


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