• 松本一生

生きる場所(1)晩秋の転居で見えたもの


 いろいろな経過があり一概には言えませんが、その人が生きる場所によって認知症の状態像が変わることはよく知られています。妻は認知症ではないけれど、この5年弱の期間を「不自由」に過ごしてきました。退院時に京都の自宅で昼間を一人で過ごすことができず、不安のために仕方なく大阪の診療所の上階で介護し始めたときの戸惑いは今でもボクの脳裏によみがえってきます。妻も同じように、いやもっと不安を抱きながら大阪の生活に入っていったことでしょう。そして月日が流れました。振り返ってみると5年弱という期間は長かったけれど、過ぎてしまえば早かったとも言えるような、不思議な時間でした。

 その生活に限界を感じたのはボクのほうで、朝起きてから妻の食事の準備をして(大したことはしていませんが)、その後、階下の診療所に降りて行って情報提供書や、介護保険の主治医意見書(ボクは精神科の専門医なので、本当は「かかりつけ医」になる立場ではありません。しかし、意見書についてはメンタル面を書かなければならない人もいるため、要望に応じて書いている場合もあります)を2時間弱書き、その後、診療を続けて午後3時ごろには夕食の買い出しに行く‥‥、夕食が終われば午後8時半には風呂の準備、前にも書いたようにどこまで講演に出かけても、その日の夕食に間に合う範囲でしか出かけられず、家を空けて泊りがけでどこかに行くことなど考えられないような毎日‥‥を送ることに疲れました。

 今年の夏は日本中どこにいる人でも「暑かった!」と思いますよね。その暑さの中で患者さんの多くが体調を崩し、その対応をしていたボクも体調を崩し、結果的に「思い切っていっそのこと京都に戻ろう」と考えて動いた3か月、今はこうして河原町二条でこの文章を書いています。

 妻は落ち着きました。落ち着いたといっても治ってくれたわけではなく、今でもボクの食事の買い出しは続いていますが、娘が一緒に生活してくれて多くの面で支えてくれることで、妻の安堵感が格段に増しました。しかも慣れ親しんだ京都に戻って、知っている地域で生活することが良かったのだと思います。

 よく認知症の人の転居について外来診療の際に相談を受けることがあります。無理な転居をすることで認知症の人はリロケーションダメージを受けること、その人の状態によって転居しても大丈夫な時もあれば、「今はやめた方が良い」とアドバイスすることも、これまで数え切れないほど経験してきました。そのボクがこうして転居した後の妻の落ち着き具合を見て、驚いています。格好つけて「専門医」という割には、やはりボクは何もわかっていないのだと、改めて痛感しました。

 でも油断はできません。安心しすぎて油を切らしてしまえば、日々の生活は破綻します。認知症の人がそうであるように、妻も新しい生活になじんできたころに、また調子を崩すかもしれません。天候変化、気温の変化が大きい今年は妻の症状にも影響するかもしれません。安心はできませんが、それでも今回の決断は失敗ではなかったと思っています。

 最も大きかったのはボクのこころの変化です。大阪にいたときには「早くこれまでの生活や活動を取り戻さなければ」という焦りをいつも感じていました。しかし、この生活になって「このような日々こそあたりまえの生活だ」と思っているボクがいます。決して人生をあきらめたからではなく、少し新しい自分の立ち位置を見始めたからなのかもしれません。さて、次に何が見えるか、じっくりと見ていこうと思います。


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