• 松本一生

出合う人々(4)君がいることの幸せ


 小説の世界は虚構であると言われます。でも、誰かの頭の中で構成された「虚構」が、多くの人々の人生を見つめなおす機会を与えてくれて、人生の道筋を示してくれることも事実です。現実の世界を淡々と描いただけでは成し得ないほどの感動を私たちに与えてくれるのが、小説という世界なのでしょう。

 音楽も同様に、誰かの頭の中で出来上がった歌詞やメロディが、それを聞いた人の人生を大きく揺さぶることがあります。「君がいることの幸せ」をその歌は私たちに教えてくれます。

 絵画の世界もそうです。およそ人生における「芸術」という世界はいずれも、そのままの人生を描き出したものではなくても、その世界観を通じて人々に生きる指針を示してくれます。

 自分の臨床活動も同様の意味があると思っています。

 何ひとつ、認知症についてわかったわけではないけれど、その病気を持った家族や知人が、その人生を意義あるものとして、生き抜くために、ボクのような医者の存在が必要なのかもしれません。科学的にはわからないことが多く、まだ、非科学的な医療の中にあっても、その人が認知症という病と出合い、思うようにならない人生を終えなければならない時に、その人生や病気に立ち向かった勇気ある姿を客観的に評価し、その人や家族に「これほどこの人は頑張ったのだ」と伝える役割が、ボクにはあるのだと思います。

 長い人生を生きて、今でも青春の日々に感じたさまざまな思いを忘れることはありません。かつて、高齢になると「これまでの人生とは違って、卓越して成熟した人生観ができるのだろう」と思っていたのですが、何とボクの精神は鮮やかで生臭いのでしょうか。世間でいう「好々爺」になるどころか、この先の人生を考えると、もっともっとやりたいことがたくさんあることに気づかされます。

 でも、そんな人生の一瞬に、全く予期もしなかった困難が襲ってくることは、誰もが経験していますよね。子どもの頃ならいざ知らず「ボクの人生はうまくいっている。誰にも勝る幸運を持っている」などと考えても、人生の試練はそのような甘い考えを持った人にも、そうではなくてつらい人生を送って来たと(自分では)思っている人とに、区別なくやってくるものです。

 そんな人が病気と出合い、自分の人生や生き方に迷うとき、ボクはその人に進言する役割を担っています。「あなたは、勇気をもって人生を生きた存在である」と。

 ボクのガンバリは自分のためのものではありません。いくら頑張っても、そのガンバリが自分のためだけのためであるなら、それは全く意味のない空回りになります。自分のためではなく誰かのためにこそ日々の努力は帰するべきであり、ボクの存在は自分ではない、誰かを元気づけるためにあります。

 「あなたは認知症の人として、充分に頑張った。あなたは介護家族として十分にやって来た。あなたは介護の支援者として、十分すぎるほどにやって来た。」ってね。

 この世を生きることは苦しいです。でも、そんな苦しみの人生にあって、それでも自分のためではなく他者の存在のために自分の人生を削りながら生きる人たちのためにこそ、ボクはメッセージを送り続けましょう。

 無理なく頑張れ、認知症のひと、介護者、そして支援職。ゴールデンウィークの最中に、それでも頑張っている人々に、ボクはいつでもあなた達と共にありますから。


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