• 松本一生

出合う人々(1)他者のための存在


 日々を認知症の人とその家族のみなさんと過ごしていると、ある種の「流れ」が見えてくることがあります。流れ、それもその人が「生きる」ことに対する流れです。認知症という

病気になったその人が、これまでの人生で他者との関係性において、どのように生きてきたかをしっかりと把握することは、ボクの臨床では何よりも大切なことになっています。

 たとえばその人が自分の人生をかけて誰かを「救う」仕事をしてきた人である場合や、町内会、消防団、ボランティア活動などをしてきた人の場合には、たとえ病気によって記憶力や判断力が低下したとしても、前頭葉がしっかりとしている限り、自尊感情が豊かに残っているものです。自尊心、それが悪い意味での自尊感情ではなく、良い意味で「これまで人を支援することに費やしてきた」という自負心ともいえる感情です。

 そのような気持ちを持って生きてきた人が、たとえ認知症という病気の診断を受けたとしても、すぐ「ケアされる立場」の自分を受け入れられるはずがありません。病気がかなり進行してしまった人なら抵抗がないかもしれませんが、多くの人は自分の立場が大きく変わり、「する側からされる側に変った」という事実を受け入れるために、こころの切り替えが必要です。

 ゆっくりと自尊感情を尊重しながら、その一方でこれまでできたことができなくなる病気の症状と向き合うことで、認知症の人は自信をなくすこともしばしば、です。その迷い、嘆き、不安と寄り添いながら、少しずつ自分の状況を受け入れる手伝いをすることが、ボクのような立場の役割だと思っています。

 一方で家族介護者にとっても、これまで人を支援してきた人、人よりも能力を持ってきた人が、今度は逆に支援される側に立たなければならない時には迷うものです。家族だからこそ、その人の自尊心がわかり、ケアや医療側の人が病気扱いすることに対して、「ハラハラ」しながら見ていることでしょう。

 その気持ちを慮り、初診の時には本人との会話から始め、決してご本人をないがしろにするかの如く、同席した家族とだけ話をすることがないようにすることは、本人に対する礼儀であると同時に、本人の心を知りつつ受診してもらうことにこころを砕いたご家族にも配慮することは認知症の臨床で大切なポイントです。

 介護者にとって本人を医療に受診するまで説得することは、特にご本人の自尊感情があればあるほど、並大抵の努力ではないエネルギーを必要とします。それだけの努力の結果、「仕方がないけれど行ってみるか」と受診した医療機関が、配慮を欠いて結果的に本人が立腹して帰ってしまうようなことがないように、ボクは最大限の努力をしなければなりません。

 少なくとも初診を終えて診療室から出ようとするその際に、その人に笑顔があるのか、それとも表情が凍り付いて帰路につくのか、大きな責任があります。

 他者のための存在として生きてきた人だからこそ、ボクはその人の現役時代と同じ目線で迎えたいと思っています。

 今日の初診で来られた人はどうだったかな、少なくとも「ここなら来ても良い」と思ってもらえるかな、たいした医療はできないけれど、こころには寄り添っていたいものです。


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