• 松本一生

ボクのこだわり(7)東日本7年・4年ぶり外泊


 誰もが忘れることのない3月11日、今年のボクは夜9時に渋谷のホテルにいました。妻の介護が始まった2014年のGWから京都の自宅で夕食を作れなくなり、ボクの仕事が終われば京都に戻って妻と外食をし始めました。でも、そんな日々が続くわけはありません。気分の沈みと不安が強くなった妻を、仕事をしている大阪の診療所の上階に住ませ、毎日夕食を準備し、夜は必ずいるという生活が始まって3年と10か月、ボクはこれまでの診療+講演生活から180度異なる生活になりました。

 「夕刻以降は必ず家(大阪のほうですが)にいること。」、「夜の会合や学会活動で遅くなることにも参加しない」、「ましてや講演会のために前泊することなどもってのほか」と妻は言います。

 不安が表面化して強迫的になる妻が安定するように、ボクはその生活を守りました。講演も行ける所が限られますので、ずいぶん依頼が減りました。その変化は思ったよりもボクのこころを痛めつけ、しばらくの間は、そうやって変わっていく自分の人生にはもう先に可能性も新しい展開もないという絶望感を持っていた時期もあります。

 病気が違ったとしても介護するひとなら、この感覚、ご理解いただけると思います。「家族の介護が始まったのなら、家族が介護するのがあたりまえ」と、経験のない人は言うでしょう。でも、先の見えない介護を担うことになった家族は、自分の夢をあきらめ、先に予定していた人生や、いま、必要とされている仕事から、「突然の介護者」になるのですから、こころの準備も何もあったものではありません。

 4年近くになり、半ばそういう生活にも慣れてきて、前回に書いたように毎日同じように午後8時30分に妻の入浴のお湯を入れるときに、日々のくり返し作業をしながら、いろいろなことを考えたりするものです。

 あることが起きるとき、それは突然にやってくるものですね。

 突然、3月12日のあさ渋谷の放送局にいなければならない仕事が入り、思い切って皆に協力をお願いすることにしました。その結果、仕事のパートナー、社会福祉士の升山弘子さんに診療所に泊まり込んでもらい妻が不安にならないように、そして夜のお湯や食事の買い出しは娘が協力してくれ、ボクも3月11日(日)の夕刻までは家にいて夕食を並べて東京に向かいました。結果は良好、妻には帰ってから文句を言われましたが(笑)、無事に終わりました。

 介護でいつも感じることですが、「絶対できない」と思わなければならないのと、「やればできるけれど、あえてしない」と思うこととの間には大きな違いがあります。とくに介護者がゆとりを持つためには、「何かの時には誰かが控えてくれている」と思えることが大切ですね。

 在宅介護をしている家族のみなさん、ボクのような医者でもみなさんのこころの支えになれたらいいな、と、今回の経験でより思いました。

 3月11日の夜、ホテルで7年前のことを考えていました。次の日の夕刻、「放送を見た」と仙台で若年認知症の会「翼」の支援者、若生さんからメールが来ました。7年前、仙台空港が再開した直後、升山さんと「何かできないか」と「翼」にうかがったことを覚えてくれていて、懐かしいメールでした。

3月11日、誰もがその時の自分を振り返り、家族を思う日です。


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