• 松本一生

ボクのこだわり(3)風花の別れ


 医者は患者さんとの出会いで育てられるものです。ボクも開業医となって以来、患者さんやご家族とのつながりが長く、人によっては25年を超える人がいるほどで、これまで関わることになった患者さんのカルテを平均してみると、10年の通院期間になります。かかわるからには密に、そして人生をいっしょに過ごす気持ちで受診していただきます。これがボクの最も大切な「こだわり」です。

 そんな患者さんの中で最も長く来てくれていた女性が亡くなりました。風花が舞う2月の大阪でした。四半世紀のお付き合いですから、患者さんでもあると同時家族のようなひとでした。

「私たちは勉学を積むことができなかったから」と、戦中世代でそんなこと言っていられなかったことは十分理解できるのに、「それではいけない」と文章を書くことを趣味、いや学びとして、文章サークルにも参加しつづけました。

 90歳を超えても診療所へ来てくれました。「無理なら言ってくださいね」というボクに対して、「いえ、来られる限りは来ます。」と言いながら、電車を乗り継いで来院し、普段の生活もひとりでこなしました。

 娘さんも「将来のお母さんのために」と介護職になった人です。いつもお孫さんたちと共におばあちゃんのことを気遣い、やり過ぎないように注意しながら見守り続けました。ボクもそんなお孫さんの結婚式にも招かれるような、そんな付き合いが続いていました。

 しかし年齢は90代半ばです。昨年の秋から自宅近くの病院のケア施設に入所しました。誰にでも高齢を持って在宅療養ができなくなる時はあるものです。年末年始だけ、そこが利用できなくなったため、別の所のステイで過ごしましたが、そちらの施設長が言われた言葉が忘れられません。「これまでたくさんの高齢者を看てきたけれど、手作りの料理のお出汁の味付けにまで、ひとつひとつ関心を示した人はいない」、と。

 もちろん、病気のためにすぐ忘れることもあります。でも、彼女は施設利用の期間中、ずっと自分の生きざまをボクたちに示してくれました。まさに「凛として」生きたのでした。

 その彼女が年明けにインフルエンザになりました。高熱が出て施設の病院に入院、せん妄も起きました。やはり超高齢の元気な人ほど、何かのきっかけで弱るものです。ご家族の依頼を受けてボクが病院でお会いした時には、憔悴しきった彼女がいました。口から食べると半分ほど誤嚥してしまいます。病院は経管栄養など考えてくれましたが、彼女はボクと知り合ったころから自分をどう治療してほしいかを事前決定した文章を書き、年一度はそれを持参して意思が変わっていないことを二人で確認してきました。口から食べられなくなった時には、点滴(中心静脈ではなく、一般的な補液のみ)以外を不要としました。

 絶飲・絶食が続きましたが、それでも日によってはしっかりと反応できる日も出てきました。

ボクが訪れた日にも、返事こそ返ってきませんでしたが、帰り際にあいさつをすると、ゆっくり右手を上げて別れを告げてくれました。

 それが最後の別れとなりました。

 夫を若くしてなくし、その後、気丈に日々を送ってきた人です。何もかも家族への心配りで人生を過ごしました。ボクの記憶に間違いがなければ、確か2月10日は曾孫さんの受験の日だったと思います。

 もし、彼女が亡くなる日がずれていたら、今日がお通夜、明日がご葬儀にはなっていなかったと思います。亡くなるときにまで曾孫さんの受験に合わせてくれたのでしょうね。

 凛として生き、愛情をこめて95年の人生を過ごしました。あなたは生きざまを見せてくれました。そして亡くなるときに、その死にゆく姿をもって、ボクらに「生きることの意味」をもう一度教えてくれたんですね。


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