• 松本一生

ブログ(127回)私たちの覚悟

 感染が拡大している大阪市内で医療機関をしている者として、昨今の感染の広がりは驚きを隠せません。日本の宝、志村けんさんを失って国民の意識も変わりつつありますが、感染爆発まで残された時間はありません。


 今朝、大阪に向かう始発の急行(ガラガラなので感染を少しでも防ぐ目的で利用します)に乗り、ピアノ音楽を聴いていて思い出したことがありました。若いころに聴いていたベトナム出身のピアニスト、ダン・タイ・ソンはかつて北ベトナムへの空爆のさなか、空爆下でピアノを弾いていたと聞き、その勇気と音楽の力に感動しました。さらに、いつも引用するユダヤ人医師のビクトール・フランクルは、いつガス室送りになるかわからない日々を過ごす中でも、夕焼けの美しさに魅了された人々の体験を感動的に残しています。この逸話も私の人生に大きな影響を与えてくれました。

 

 しかしそれらの話に感動している自分が、これまで何一つ侵されることがない安全な環境で、気軽に飲み物を片手に音楽を聴きながら感動していただけだとすれば、なんと気楽なことだったのでしょうか。考えてみれば私はこれまで本当の危機を経験したことがありません。阪神淡路大震災の時も支援にまわる側でした。それ以降、ニューヨークのテロも東日本大震災のときも含め、自分の人生では常に困った私を助けてくれる人がいて、知らず知らずのうちに助けられてきたことを、今回の危機が再認識させてくれました。

 医師としてもそうです。妻の介護があって大阪市の精神科救急体制にも十分に参加できず、今回のコロナウイルスでこれほど医師不足が問題になっていても、自分の力のなさからできることに限りがあるため、忸怩(じくじ)たる思いで過ごしています。


 そんな自分を今一度考える機会が今回の危機でやってきました。担当するのは認知症の当事者や家族、介護が必要となる人々であり、感染拡大を防ぐための個々人の「役割やふるまい」を自覚できない当事者もおられます。「家にいること」の意味さえ分からない独居の当事者のことを考えると、私たち認知症やケアに関わるものが貢献すべきことが見えてきました。もちろん自分を投げ出すのではなく、「われを守りながら人を守る」には大きな自覚が必要ですが…。


 本当に危機的状況に立たされた時に、真の自分はどう考え、どのように行動するのか、今回のことで直面せざるを得なくなりました。今はその入り口に差しかかったばかり、これからが大きな困難に向かう日々でしょう。そんな時、一人では不安や敗北感に打ちひしがれたとしても、この文面を読んでくれたあなたと私は気持ちの中で連帯しましょう。

 私たちは「人を支え」ることを人生の目的にしました。怖いのは皆同じ、私もいつものように「ボクね~」とおチャラけている余裕はありません。こころの専門家ならこの事態に貢献できるよう、腹を据えることにします。何が起きようと私は認知症の当事者、家族、地域の人のこころを安堵させてあげられる私として肯定的なメッセージを発せられるように。「それでも微笑む私たちがいた」と未来の自分が、みんなが思えるように、今こそ、連帯・連携の時です。




355回の閲覧